よみ
| さかたじんじゃ
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参拝日
| 平成25年6月29日(土)
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所在地
| 開成町延沢465(北緯35度20分3秒 東経139度7分14.5秒)
地図:地理院地図
いつもNAVI
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HP
| 神奈川県神社庁 神社詳細 酒田神社
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祭神
| 伊弉諾命 ( いざなぎのみこと )
吉備津彦命 ( きびつひこのみこと )
大物主命 ( おおものぬしのみこと )
誉田別命 ( ほむだわけのみこと )
建御名方命 ( たけみなかたのみこと )
事代主命 ( ことしろぬしのみこと )
日本武尊 ( やまとたけるのみこと )
大山祇命 ( おおやまつみのみこと )
天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
倉稲魂命 ( うかのみたまのみこと )
菅原道真 ( すがわらみちざね )
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由緒
| 拝殿内の掲示には次のやうにある。
酒田神社の由来
鎮座地 足柄上郡開成町延沢四六五
祭 神 略(*1)
境内社 忠魂碑(希典書)二基
例祭日 十月十日
社 殿 本殿六坪 幣殿四坪 拝殿一八坪 向拝付 三棟一宇
木造亜鉛葺 神楽殿二四坪
境内坪数 五五〇坪
由緒沿革 創立年代は詳らかではないが、当社氏子区域は、苅野
庄の大半を占め、牛島村、宮ノ台村、中之名村、円通寺村、延沢
村、金井島村、岡野村七ヶ村に亘っている。往時は牛島村に佐護
神社があり、牛頭天王、疱瘡神、又大日を案ずるとあり、
宮ノ台村は牛島より分村し八王子権現があったので宮ノ
台村と名付け、八王子社は牛島の鎮守であった。中之名
村には鎮守八幡宮があり三島諏訪を合祀していた。円通
寺村には鎮守諏訪社、金井島村には若宮八幡、
岡野村には鎮守八幡及び村持神明社などがあった事
が新編相模風土記に記載されている。明治六七年に夫々上
地村社あるいは無格社に列せられたが、酒田村に合併後一村
一社を志向し明治二十一年、旧延沢村にあった諏訪社に合
祀の議が起った。諏訪社は旧村の中心地にあり、同風土記に
も「村の鎮守例祭七月二十七日村持、下同、熊野社当社も村
の鎮守なり六月十六日拝殿・幣殿あり若宮八幡を合祀す
神楽殿 天神社村民持、山神社二一村持一は村民持、稲荷社
神事舞大夫斉藤浪江持」とある。これらの神社を総
て明治二十一年に合祀し社伝を建立し郷社に列せられた。
宮 司 藪田義文
昭和六十年十月十日総代謹書
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「酒田」や御祭神名には振仮名が付けてあり有難い。
*1 神社庁の紹介ページと異なる部分がある。次の通り。なほ、記載順は同じ。
吉備津日子命 あまてらすおおみかみ 菅原道真公
教育委員会の案内が境内にあり、それには次のやうにある。
酒田神社由緒
明治新政府は発足にあたって、天皇親政・祭政一致を国是としました。それにともない、各村々の小社祠を統合して、
盛大な祭祀を挙行するよう、明治六年(一八三七)一村一社を命じ完了しましたが、明治二十二年(一八七四)町村合併法による
酒田村の誕生によって、旧村々の鎮守は取残されてしまいました。
再び政府の指導による社祠の統合が図られ合併した村、岡野・金井島・延沢・円通寺・中之名・宮台・牛島の鎮守七社を集めて、
明治四十二年(一九〇九)十月、郷社酒田神社がこの地に創建されました。
御祭神は、伊弉諾命・天照皇大神・大物主命・大山祇命・建御名方命・事代主命・倉蹈魂命・日本武尊・誉田別命・吉備津日子命
・菅原道真命の十一柱です。
平成九年二月
開成町教育委員会
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中之名:なかのみょう、 倉蹈魂命:稲ではなく蹈と書いてゐる
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雑記
| 小田急線開成駅から北北西へ1.5km、小田急線新松田駅から西南西へ2.0kmの所にある。
社殿は南東向きに建ってゐる。
忠魂碑は、昭和三十年一月酒田村建立で、西南戦役・日露戦争・支那事変・大東亜戦争の死者を慰霊してゐる。
酒田村は昭和30年2月に吉田島村と合併し、開成町となってゐる。(勝手な想像だが、酒田村の手で戦死者の名を刻み、
村の鎮守といふ場でに永く栄誉を称へたいといふ気持があったと、考へてしまふ)
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