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酒田神社(神奈川県開成町延沢)

作成日 平成26年9月3日
よみ  さかたじんじゃ
参拝日  平成25年6月29日(土)
所在地  開成町延沢465(北緯35度20分3秒  東経139度7分14.5秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 酒田神社
祭神  伊弉諾命 ( いざなぎのみこと )
 吉備津彦命 ( きびつひこのみこと )
 大物主命 ( おおものぬしのみこと )
 誉田別命 ( ほむだわけのみこと )
 建御名方命 ( たけみなかたのみこと )
 事代主命 ( ことしろぬしのみこと )
 日本武尊 ( やまとたけるのみこと )
 大山祇命 ( おおやまつみのみこと )
 天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
 倉稲魂命 ( うかのみたまのみこと )
 菅原道真 ( すがわらみちざね )
由緒  拝殿内の掲示には次のやうにある。
酒田神社の由来

鎮座地 足柄上郡開成町延沢四六五
祭 神 略(*1)
境内社 忠魂碑(希典書)二基
例祭日 十月十日
社 殿 本殿六坪 幣殿四坪 拝殿一八坪 向拝付 三棟一宇
    木造亜鉛葺 神楽殿二四坪
境内坪数 五五〇坪
由緒沿革 創立年代は詳らかではないが、当社氏子区域は、苅野
   庄の大半を占め、牛島村、宮ノ台村、中之名村、円通寺村、延沢
   村、金井島村、岡野村七ヶ村に亘っている。往時は牛島村に佐護
   神社があり、牛頭天王、疱瘡神、又大日を案ずるとあり、
   宮ノ台村は牛島より分村し八王子権現があったので宮ノ
   台村と名付け、八王子社は牛島の鎮守であった。中之名
   村には鎮守八幡宮があり三島諏訪を合祀していた。円通
   寺村には鎮守諏訪社、金井島村には若宮八幡、
   岡野村には鎮守八幡及び村持神明社などがあった事
   が新編相模風土記に記載されている。明治六七年に夫々上
   地村社あるいは無格社に列せられたが、酒田村に合併後一村
   一社を志向し明治二十一年、旧延沢村にあった諏訪社に合
   祀の議が起った。諏訪社は旧村の中心地にあり、同風土記に
   も「村の鎮守例祭七月二十七日村持、下同、熊野社当社も村
   の鎮守なり六月十六日拝殿・幣殿あり若宮八幡を合祀す
   神楽殿 天神社村民持、山神社二一村持一は村民持、稲荷社
   神事舞大夫斉藤浪江持」とある。これらの神社を総
   て明治二十一年に合祀し社伝を建立し郷社に列せられた。
宮 司 藪田義文
       昭和六十年十月十日総代謹書
「酒田」や御祭神名には振仮名が付けてあり有難い。
*1 神社庁の紹介ページと異なる部分がある。次の通り。なほ、記載順は同じ。
  吉備津日子命 あまてらすおおみかみ 菅原道真公

教育委員会の案内が境内にあり、それには次のやうにある。
酒田神社由緒

 明治新政府は発足にあたって、天皇親政・祭政一致を国是としました。それにともない、各村々の小社祠を統合して、 盛大な祭祀を挙行するよう、明治六年(一八三七)一村一社を命じ完了しましたが、明治二十二年(一八七四)町村合併法による 酒田村の誕生によって、旧村々の鎮守は取残されてしまいました。
 再び政府の指導による社祠の統合が図られ合併した村、岡野・金井島・延沢・円通寺・中之名・宮台・牛島の鎮守七社を集めて、 明治四十二年(一九〇九)十月、郷社酒田神社がこの地に創建されました。
 御祭神は、伊弉諾命・天照皇大神・大物主命・大山祇命・建御名方命・事代主命・倉蹈魂命・日本武尊・誉田別命・吉備津日子命 ・菅原道真命の十一柱です。
 平成九年二月
開成町教育委員会
 中之名:なかのみょう、 倉蹈魂命:稲ではなく蹈と書いてゐる
雑記  小田急線開成駅から北北西へ1.5km、小田急線新松田駅から西南西へ2.0kmの所にある。
 社殿は南東向きに建ってゐる。
 忠魂碑は、昭和三十年一月酒田村建立で、西南戦役・日露戦争・支那事変・大東亜戦争の死者を慰霊してゐる。 酒田村は昭和30年2月に吉田島村と合併し、開成町となってゐる。(勝手な想像だが、酒田村の手で戦死者の名を刻み、 村の鎮守といふ場でに永く栄誉を称へたいといふ気持があったと、考へてしまふ)


平成25年6月29日撮影

平成25年6月29日撮影


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