由緒
元 村社
境内に由緒の掲示等はなかった。
『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)。
由緒沿革 当社の縁起については定かにすることは出来ないが、村民の間には邇々芸命を祀ると伝えられる。古来農業の守護神として近隣より崇敬が厚く、治承年間(一一七七〜一一八一)大庭景親の食邑にして、大庭氏天候不順の折は時折代参を派遣して水害旱魃の災なからんことを折願したと伝えられている。『相模風土記』に「駒形社。村ノ鎮守ナリ。本地仏千手観音ヲ安ス。例祭九月十四日。東光寺持。」と社名を記している。「天保十四年(一八四三)九月十四日東光寺旭範」と記した棟札がある。元村社で寺分区の氏神社である。
|
『新編相模国風土記稿』には次の様に載ってゐる(1)。
駒形社 村ノ鎮守ナリ。本地仏千手観音ヲ安ス。例祭九月十四日。東光持。
稲荷社
|
| 雑記
| 最寄駅は湘南モノレールの湘南深沢駅で当社から西南西(262度)へ0.4kmのところにある。
写真6には「やぐら」に鎮座する二社の写真があるが、「やぐら」とは何かを調べたら次の様(3)。
現在の神奈川県鎌倉市にあたる相模国鎌倉とその周辺地域で、鎌倉時代中期以降から室町時代前半にかけて造られ使用された、横穴式の納骨窟または供養堂である。鎌倉市教育委員会によると、3000基以上が確認されている。現在では土砂崩れや宅地開発で破壊されたものも多く、残ったやぐらも風化で苔むした洞穴にしか見えないが、建立当時の内装は豪華であった。火葬人骨のほか多くの副葬品が納められていた。
|
駒形神社の本源は岩手県奥州市(旧水沢市)鎮座の駒形神社とされ、奥宮は本社から北北東へ20kmの駒ヶ岳山上にある。
|