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御霊神社 (神奈川県鎌倉市梶原)

参拝日 令和4年3月23日(木)
作成日 令和5年1月21日(土)
追記日 令和6年2月6日(火)
よみ  ごれいじんじゃ
概要  建久元年(1190)梶原平三景時、景政公(平 景正、鎌倉景正とも、通称 権五郎)の霊を祀り御霊社と称した。  
所在地  鎌倉市梶原 1-12-27
  (35度19分53.69秒 139度31分16.57秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 御霊神社
祭神  鎌倉権五郎景政 ( かまくらごんごろうかげまさ )
 梶原景時 ( かじはらかげとき )
由緒  元 村社

 狛犬の前に由緒を記した石碑が設置されてゐる。碑文は以下の様。
御霊神社
鎮座地 鎌倉市梶原一丁目十二番地二十七号
御祭神 鎌倉権五郎景政霊
由緒 御祭神景政は後冷泉天皇の御宇永承壬申年(1045年頃)命を奉じて、源頼義と奥州に下向し阿部貞任・宗任と合戦大勝して帰る。天喜元年(1052)時の人始めて鎌倉権五郎景政に御霊大権現の神号を奉り村岡邑に奉斎せり
後年鎌倉権太夫景通梶原の邑に居を定め屋号を梶原と改む、建久元年(1190年)九月梶原平蔵景時一宇を建て、景政の霊を祀り御霊社と尊称す。

 碑背に、「梶原御霊神社氏子中」、宮司・代表役員石井直樹、責任役員・総代の氏名、「平成十二年九月吉日(二000年)」と刻まれてゐる。

 『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 社伝によれば建久元年(一一九〇)梶原平三景時、景政公の霊を祀り御霊社と称した。
 『相模風土記』には鎌倉権五郎景政公夫婦の像と伝える木像二体を神体とし、傍に梶原平三景時の木像を置き等覚寺持とある。 梶原平三景時の墓と伝える五輪塔など四基がやぐらの中にある。元指定村社で梶原区の氏神社である。

 『新編相模国風土記稿』には次の様に載ってゐる(2)。( )内は割注部分。
御霊社 村ノ鎮守トス鎌倉権五郎景政カ霊社ナリ。木造二躯ヲ神体トス。(一ハ長一尺二寸余。一ハ少シク小ナリ景政夫婦ノ像ナリト伝フ) 傍ラニ梶原平三景時ノ木造(長一尺二寸。近世修造ヲ加ヘシモノナリ)ヲ置ク例祭十一月十四日。等覚寺持。社傍ラノ山麓ニ五輪塔五基並立り(高各二尺余)何人ノ碑ナルヲ伝ヘス。
雑記  最寄駅は湘南モノレールの湘南深沢駅で、当社から東北東(300度)へ0.3km弱のところにある。

舞殿には、参拝者向けに墨書された文が置かれてゐた。
参拝の皆さまへ
 本日は ようこそ お出かけなされました。
当社は社碑のように 梶原景時公の手になる神社と言われますが、その証拠となる物や場所が見当りません。只、当社の造りが鶴岡八幡宮社の姿にとてもよく似ています、景時が八幡社の造営に携ったという伝えもありますことからは、源氏山近くの村社を移したと見ても可なりでしょうか。
近隣では「舞殿」をもつ構造の社殿は見当りません。参道の長さ、本殿への階段、それに昭和の初め頃までは、参道の両側が水田であり、これを池に見立てれば、正に八幡宮の再来と思えます、と土地の自慢を申しあげます
どうぞ ごゆるりと静寂をお楽しみください。
 令和四年
梶原 御霊神社氏子中

 鎌倉には御霊神社がいくつかあり、坂ノ下の御霊神社(権五郎神社)には平成23年に訪れてゐる。『鎌倉の神社 小辞典』によれば、「初めは葛原岡に創建されたとか、坂ノ下の御霊神社はこの社から移されたものともいわれる」(3)と云ふ。鎌倉の中心から当社は山を越えて随分と離れてゐる。「初めは葛原岡に創建された」と云ふのも尤もと思はれてくる。
 尚、源氏山山頂は鶴岡八幡宮の西900m余の所にあり、源氏山の北西に続く丘陵は葛原岡といふ。

本日の神社巡りは、当社で終了。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 社号標は、「平成七年九月吉日」の日付と「鶴岡八幡宮宮司白井永ニ書」と添書きがある。
 旗竿は、令和元年九月吉日の氏子中による奉納。

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 写真の鳥居は二の鳥居。柱に「安政四年丁巳年三月 梶原氏子中 大正十二年九月代印祭倒壊 同十四年八月修理ス」「平成弐年十一月吉日再建 大典記念 梶原氏子中」とある。
 一の鳥居は、「昭和五十九年九月三日再建 梶原 氏子中」とある。
 灯籠は、明治四十一年三月に東京市芝区の石井姓の方による奉納。次の一文が刻まれてゐる「記 この常夜灯は大正十二年九月の大震災により倒壊爾来五十余年の歳月土に埋ずもれるを氏子相図りこれを復元する 維持昭和五十年三月也」
 狛犬の前の一段低い所には由緒碑がある。

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 神楽殿
 右上の方には本社の屋根が見へてゐる
 神楽殿に向って右手の岩斜面には五輪塔ほか様々な石像物があった。
 五輪塔は天保十二年には既に誰を供養して建てたのか判らないと云ふ(由緒欄参照))。こちらの写真(1280×960pix)は五輪塔三基が並んでゐるのが判る。
 狛犬は日露戦争の凱旋を記念して造られ奉納された(3)

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 階段を登り切ると拝殿・本殿が見えてくる

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 拝殿脇から神楽殿を望む

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 神楽殿前から鳥居方を望む

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 社務所
 NHKでは、平成4年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放送されてゐるのにちなみ旗を掲げてゐる。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.205-206
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之百五 梶原村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)
  3. 『鎌倉の神社 小辞典』 吉田茂穂監修 平成十四年六月 (株)かまくら春秋社 P.93

改訂記録
  • 令和06.02.06 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。概要欄作成と記入。

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