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上町屋天満宮 (神奈川県鎌倉市上町屋)

参拝日 令和4年4月1日(金)
作成日 令和5年2月12日(日)
追記日 令和6年2月5日(月)
よみ  てんまんぐう
概要  当社(天満宮)は、天慶年間(928〜947)に平良文(4)が天神をこの地に祀った。封地の鎮護として近隣の崇敬を受けた。元村社で上町屋区の氏神である。  
所在地  鎌倉市上町屋(かみまちや)616
  (35度20分12.24秒 139度30分54.73秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 天満宮
 Wikipedia:天満宮(鎌倉市上町屋)
祭神  菅原道真 (すがわらみちざね)
由緒  境内に由緒等の掲示はなかった。

 『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 当社の縁起については不詳であるが、社伝によれば、天慶年間(九二八〜九四七)上総介平良文は霊夢を受けて天神をこの地に祀り、爾後、封地の鎮護として、近隣の崇敬を受けるに至った古社である。
 石造鳥居(天保十一年・一八四〇)、神像を刻んだ石碑(天徳二年・一七一二)などがある。又、寛永三年(一六二六)、享保十一年(一七二六)の祈祷札、正徳六年(一七一六)四月、天明元年(一七八一)七月上浣の棟札がある。『相模風上記』に泉光院持とある。元村社で上町屋区の氏神である。
境内社 梅王社 松王社 稲荷社

 『新編相模国風土記稿』には次の様に載ってゐる(2)
天神社 村ノ鎮守ナリ。例祭正月二十五日。泉光院持。
 末社 松尾 稲荷
雑記  最寄駅は湘南モノレールの湘南町屋駅(東北東へ0.6km、道程0.9km)、または湘南深沢駅(南東へ0.6km、道程0.9km))。

 境内社三社の「祠は明治初期、江戸を離れこの地に来た大工が申し出て造ったものという」(3)。陶器の狐が狛犬としておかれてゐたので、どれもお稲荷さんと思はれる。

 当社の南側は平らな土地で建物は無く、一部でサッカーをしてゐる姿もあった。少し古い地図を見たところ国鉄大船工場があったのが判った。平成18年3月末で閉鎖されたらしい。

 湘南深沢駅へ向ふ途中、地図に泣塔(有形文化財に指定されてゐる宝篋印塔)があるとでてゐたのでキョロキョロしながら歩いてゐたら金網で囲まれた所があった。残念ながら近づけなかったし、見える所へはそこそこ歩かなければ行けないと掲示があったので、見学は断念した。疲れもあったし。

 本日の神社巡りは、当社で終了。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 鳥居の柱には「奉献華表一基」「祈五穀豊登」「天保十一庚子年正月廿五日」「当郷(?)氏子中」と刻まれてゐる。(華表は鳥居のこと、豊登は豊穣と同義、天保十一年は1840年、大飢饉が起ったのは4年〜10年)

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 境内
 手水鉢は「明治九年子二月日」「當所 飯田勘治郎」と彫られてゐる。

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿正面

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿の左右に境内社がある。

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿内

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
> 石像物、社殿に向って左の後方にある。
 向って左は、市指定有形民俗文化財となってゐる庚申塔。「寛文十庚戌暦九月吉日」との年記がある。(寛文10年は1670年)
 向って右は、菅原道真公の像が彫られてゐる。

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 社殿前から鳥居方を望む

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 天満宮社務所・上町屋町内会館
 境内から鳥居をくぐって道路に出て左手(西)から撮影


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.200
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之百五 上町谷村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)
  3. 『鎌倉の神社 小事典』 平成十四年 吉田茂穂監修 p.96
  4. 平 良文(たいら の よしふみ) ウィキペディア平良文より  別名:村岡五郎 村岡五郎良文。仁和二年(886)生れ・天歴六年(952)没(?)、桓武天皇の四代後裔平望王の五男、平将門の叔父。熊谷郷村岡(埼玉県熊谷市村岡)、相模国鎌倉郡村岡(藤沢市村岡地区)に居を構へ、下総国結城郡村岡(茨城県下妻市)にも所領があったと云ふ。官職は鎮守府将軍。子の三男・五男からは千葉氏や上総氏、秩父氏、三浦氏、梶原氏、鎌倉氏らが出てゐる。

改訂記録
  • 令和06.02.05 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。概要欄作成と記入。

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