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巽神社 (神奈川県鎌倉市扇ガ谷)

参拝日 令和5年2月8日(水)
作成日 令和5年12月9日(土)
よみ  たつみ じんじゃ
概要  巽神社は鎌倉市扇ガ谷に鎮座する。坂上田村麿が延暦二十年(801)葛原岡に勧請した。奥津日女神・火産霊神・奥津日子神を祀る。寿福寺境内を経て、現在地は巽(南東)に位置するので巽荒神と称された。  
所在地  鎌倉市扇ガ谷(おおぎがやつ)一丁目9-7
  北緯 35度19分19.41秒
  東経139度33分1.47秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 グーグルマップ(ズームレベル14)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km
 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km×南北 0.94 km、
・本殿の位置に 印 を記入
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 巽神社
祭神  奥津日女神(おきつひめのかみ)
 火産霊神(ほむすびのかみ)
 奥津日子神(おきつひこのかみ)
由緒  元 村社

 『神奈川県神社誌』(昭和57年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 延暦二十年(801)坂上田村麻呂が東夷鎮撫の途上、当群葛原岡に勧請したのに始まり、永承四年(1049)源頼義が社殿を改修したと伝える。その後、寿福寺境内の鎮守として奉斎されたが、再び遷って現在地に鎮座し、この地が寿福寺の巽の方角に当るところから「巽荒神」と称された。近世になり浄光明寺が所管した。天正十九年(1591)社領一貫文の地を寄せられたと『相模風土記』に見える。又徳川幕府から朱印地を寄せられた。天保六年(1835)社殿の改築があり、明治六年村社に列格した。
 関東大震災で全潰し、大正十四年修復された。扇谷区の氏神社である。境内には手洗石(寛文十二年・1672)、石灯籠(元禄十年・1697)、石造鳥居(文政七年・1824)などがある。
   参考  「巽の方角」は南東

 『新編相模国風土記稿』には次の様に載ってゐる(2)
巽荒神社 今小路ノ南寿福寺ノ巽ニアリ。故ニ此唱アリ。元ハ寿福寺境内ノ鎮守ナリ。天正十九年社領一貫文ノ地ヲ賜フ。今浄光明寺ノ持ナリ。

 境内に由緒が掲示されてゐる(鳥居をくぐった左手)。残念ながら下の三分の一は読取れない。

雑記  最寄駅は横須賀線鎌倉駅・江ノ電鎌倉駅で、当社から南へ0.3km余のところにある。 
 市役所は、南西へ0.4km余のところにある。

 寿福寺は、北条政子が源実朝の死の翌年に創建した。境内には実朝、政子とされる五輪塔がある。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 鳥居と社殿
 社殿は、西微北向き

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 社殿 正面
 灯籠には、一対だが、形が異なる。向って右の灯籠は「天保」「戌」の文字があるので天保九年(1838)のものか。

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿 側面

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿内

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 境内社

写真6 写真6 拡大 (2000×563)
 境内(パノラマ撮影)
 鳥居をくぐって左手に手水鉢が置かれてゐる。寛文十年(1670)の年記がある。鳥居をくぐって左手に手水鉢が置かれてゐる。寛文十年(1670)の年記がある。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.191
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之八十九 扇ヶ谷村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和05.12.13 参拝日と写真の日付を修正(正:R05.02.08 誤:R04.12.08)
  • 令和06.01.19 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)
  •  〃    25 配置再修正


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