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諏訪神社(神奈川県鎌倉市植木)

作成日 平成24年2月7日
追記日 ────────
よみ  すわじんじゃ
所在地  鎌倉市植木96 (北緯35度21分11.2秒  東経139度31分8.9秒)  ゼンリン地図
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 諏訪神社
祭神  建御名方神 ( たけみなかたのかみ )
由緒  植木、岡本、城廻(しろめぐり)の鎮守。境内にある石碑には次のやうにある。
由 緒
 この神社は、今からおよそ四百二十年前当時の玉縄城主 北条綱成公が、軍神の称ある信州諏訪の建御名方冨命・八 坂刀売命二座の神霊を玉縄城内の諏訪壇に勧請したものと 伝えられている。
その後、神社は元和年間玉縄城の廃城、さらに幾星霜を経 て現在のこの位置に移された。この時すでに鎌倉権五郎景 政一門の霊を祀った御霊神社があり、この神社と諏訪神社 と合祀され村民の両大社への崇敬あつく、五穀豊穣、村内 安全と繁栄を祈願する祭典が毎年行なわれている。
ちなみに北条綱成公は、黄八幡といわれた有名な武将であ ったが、天正十五年七十三才で没した。公一門の墓は社殿 脇の山頂にある。
  昭和六十三年十二月吉日    諏 訪 神 社
参拝日  平成23年6月4日(土)
雑記  玉縄城の地は、現在清泉女学院中学高校がある。玉縄城本丸があったのは南西辺りで、 その東側の小高いとことが諏訪壇とよばれ、かつて諏訪神社が鎮座してゐた所ださうだ。
 由緒碑には、八坂刀売命が祀られてゐるとしており、正当な諏訪神社と自分には思へる。
 維持明治三十九年九月吉日の日付のある日露戦争の勝利を伝へる額や、大船町玉縄村合併 記念の額(昭和四年)が奉納されてゐるが、木地の様子から比較的新しいものと見へる。歴史を 大切にする気持が伝はる。


平成23年6月4日撮影 鳥居は青銅製か 階段を登ると左手に覆殿、右手には舞殿が見へる

平成23年6月4日撮影

平成23年6月4日撮影 本殿

平成23年6月4日撮影 覆殿の扁額 鳥居の扁額も諏訪御霊両大神となってゐる


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