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諏訪神社(神奈川県川崎市高津区諏訪)

作成日 平成29年12月16日
よみ  すわじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成29年6月2日(金)
所在地  川崎市高津区諏訪3-16-48 (北緯35度36分11.75秒 東経139度37分33.62秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 諏訪神社
祭神  建御名方神 ( たけみなかたのかみ )
 五十猛命 ( いたけるのみこと )
 日本武尊 ( やまとたけるのみこと )
 大日孁尊 ( おおひるめのみこと )
 保食神 ( うけもちのかみ )
由緒  境内の掲示には次のやうに記されてゐた。
諏訪神社御由緒
一、御祭神
  建御名方神
五十猛命 日本武尊 大日孁尊 保食神
一、御神徳
白白白 主祭神建御名方神は大国主の御子にて千引石をもささげ持つ程の武勇に秀でた神といわれ古来より庶民の信仰が厚く病魔に勝ち困苦に克ってあまねく人税の開運を招き繁栄をもたらすと深く崇められ御祭神の御神徳は誠にあらたかである
一、御由緒
信濃国の豪族諏訪安藝守頼忠の末孫諏訪左近頼久なる者が天正十八年 (1590年) 主家北條左京大夫氏直の許を離れ此の地に来り慶長年中深く崇拝する信州諏訪大社の大神の分霊を受け守護神としてここに勧請せり 爾来近郷の鎮守として崇敬され明治三十二年省令に依り諏訪社に杉山社、大陸天社、神明社、稲荷社を合祀し諏訪神社と総稱 現在の御社殿は大正初期の造営に成り大正四年四月遷宮祭を執行す
 昭和五十二年十二月吉日 諏訪神社
 転記者注 諏訪左近頼久は当地開拓の祖。「大陸天社」とあるが、風土記稿にある「第六天」のことだらう。
武蔵国風土記稿(1)には次のやうに載ってゐる。( )内は割注部分。
諏訪社(村ノ北ノ方ニアリ 諏訪左近頼久カ勧請ナリ ソノ年代ハ天正慶長ノ頃ナルヘシ 頼久カ子孫今モコノ村二アリ 例祭ハ九月十七日ニテ杉山明神ト隔年ニナセリ 此時明王院ノ不動ヲココニ奉シ来リテ神坐ニ安スルヲ例トス 古ハ二子板戸北見方諏訪河原四カ村ノ鎮守ナリトサレト今ハ当村ハカリノニテ明王院ノ持ナリ)
杉山社(字寺前ニアリ 大門ノ入口ニ木ノ鳥居ヲ建 例祭ハスヘテ諏訪ノ社ニ同シ 是モ明王院持)
第六天神明合社(字東通リニ小祠 明王院持ナリ)
稲荷社(字寺前ニアリ 小祠 明王院ノ持)
浜川神社について、神奈川県神道青年会のwebページ(2)には次のやうに載つてゐる。
浜川社の祭神須佐之男命は荒ぶる神として祀られていましたが、当神社御祭神天照大御神と一緒に村内の人々に信仰されてきました。いつの頃よりか厄神様として困難や災いを笑い吹き飛ばす神様として今でも親しまれております。
雑記  東急二子新地駅から南東ないし南南東へ0.5kmの所にある。当社から北東へ300m足らずで多摩川に達する。

 境内に石鳥居を具へた石祠があったが、社名は判らなかつた。神奈川県神社誌には境内社として、浜川神社と地鎮塔が記載されてゐるので、浜川神社だらうか。
 一の鳥居は平成五年十二月奉納、その前にある社号標(北を向いてゐる)は、「村社諏訪神社」「神奈川県知事飯沼一省謹書」「紀元二千六百年 官幣大社諏訪神社参拝記念 神社氏子一同」とある。社号標と鳥居の間に「地神塔」がある。
 また、日露戦役紀念碑がある。

 本日は、二子新地駅から歩いて、12社を巡り、梶ヶ谷駅から帰途についた。今まで、別表神社の稲毛神社参拝、所用で溝口を訪れた際の近隣のお社参拝などで、川崎市内お社は少し巡ってはゐた。歩ける範囲にある事や交通の便を考へると訪れ易いと思ひ直してゐる。人口も多く、昼食に苦労する事もない。所用や何やらで次の川崎訪問は10月下旬になつた、以降6回(48社)訪れた。おかげで市バスの利用も上手になつたと思ふ。

写真





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脚注
  1. 武蔵国風土記稿 巻之六十四 諏訪河原村 の条 (文政13年(1830)成立の書、明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  2.  平成29年12月12日閲覧 神奈川県神道青年会 神社の紹介 諏訪神社


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