神社訪問記HP神奈川県川崎市

関神社(神奈川県川崎市中原区小田中)

参拝日 平成29年6月2日(金)
作成日 平成29年12月16日(土)
追記日 令和6年4月22日(月)
よみ  せきじんじゃ  
所在地  川崎市中原区小田中1-13-1 (北緯35度35分41.11秒 東経139度37分52.64秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 関神社
祭 神  豊玉姫命 ( とよたまひめのみこと )
由 緒  境内に由緒の掲示は無かった。
 神奈川県神社誌(1)には次のやうに載ってゐる。
由緒沿革 当所の氏子、原一族の祖は、武田信玄に仕えた原美濃守の末流であるが、慶長十年に至り、後裔原勘解由左衛門勝久、此地に住し、当地開墾に従事した時、行程、遅々として進まなかった。以て日頃信仰せる関蝉丸神社に祈願を籠めたところ、一夜にして霊示あり、「我を此地に祀らば工忽ち成就すべし」と。以て直に社殿を造営し、神霊を鎮守するや不思議にも開拓の大業忽ち成ったと伝えられる。

 新編武蔵国風土記稿(2)には次のやうに載ってゐる。
関明神社 (村ノ北ノ方ニテ小名大ケ谷戸ニアリ其所ノ鎮守ナリ近江国逢坂ニタテル関明~ノウツシナリ社南向二間ニ一間ノ覆屋アリ小社前ニ鳥居アリ例祭ハ九月十七日宝蔵寺ノ持ナリ
 同書には、他に、神明社、稲荷社、白山社が取上げられ簡単に説明されてゐる。下の写真にある拝殿内扁額の神社名と一致してゐるものもあるが、それ以上は判らない。
 また、同書には原勘解由左衛門を含む「旧家者百姓勘右衛門」として460文字程の記載がある。寺社について「村内宝蔵寺ヲ建立シ又神社等アマタ勧請ス」とある。
雑 記  南武線武蔵新城駅から北へ0.8kmのところにある。当社の東100m程には二ヶ領用水が通り、その東方は下野毛、多摩川右岸堤防は当社から北東方向へ0.7kmにある。嘗て下野毛村と上小田中村の間には多摩川が流れてゐたといふ。

 境内の碑によると、改修工事が行はれ、平成二十六年九月に竣工してゐる。
 大口真神の石祠がある。「昭和四十四年三月 上小田中講中」と刻まれてゐる。その隣には、大ヶ谷戸講による昭和三十三年四月に建てられた「御嶽山大々記念」の石碑がある。
 「蝉丸」については、大津市の関蝉丸神社によると、「平安時代中期になると、琵琶の名手で、後撰集の歌人でもある蝉丸が鎮座地の逢坂山に住むようになり、没後に上・下両社へ合祀された。合祀は天慶九年(九四六)とも平安時代末ともいわれている。」(3)といふ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  社号標には「関蝉丸神社」とある(平成二十七年九月建立)。


写真2



写真3


写真4


写真5  御本殿、中央の扁額には、向って右から、白山神社、神明社、関神社、八雲神社、稲荷神社、とある。「関蝉丸神社」扁額は「海軍大将山下源太郎敬書」と添へられてゐる。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年刊 p.114 関神社
  2. 新編武蔵国風土記稿 巻之六十五 上小田中村 の条(文政13年(1830)成立の書、明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  3. 平成29年12月15日閲覧 関蝉丸神社HP 内「御由緒」より

改訂記録
  • 令和06.04.21 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

文頭へ移動  ホーム(神社訪問記)
inserted by FC2 system