神社訪問記HP神奈川県川崎市

下作延神明神社(神奈川県川崎市高津区下作延)

参拝日 平成29年6月2日(金)
作成日 平成29年12月23日(土)
追記日 令和6年4月21日(日)
よみ  しもさくのべ しんめい じんじゃ  
所在地  川崎市高津区下作延520 (北緯35度35分59.69秒 東経139度36分11.53秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 神明神社
祭 神  天照大神 ( あまてらすおおみかみ )
 須佐之男命 ( すさのおのみこと )
 御霊神 ( ごりょうじん )
由 緒  境内に由緒の掲示は無かった。
 新編武蔵国風土記稿(1)には次のやうに載ってゐる。( )内は割注部分。
五郎権現社(村ノ南字根モチリニアリ 社地ハ丘ノ上ナリ 僅ナル祠ニテ覆屋八尺ニ九尺 東向ナリ 祭神及ビ鎮座ノ年ヲ伝ヘス 例祭九月廿三日 村持)
神明社(同シ並ヒニアリ 是モ鎮座ノ年代ヲ伝ヘス 本社一間四方 拝殿三間ニ二間 東向ナリ 例祭八月十九日 是モ村持 以上ノ二社村ノ鎮守ナリ)
牛頭天王社(村ノ北字北谷ニアリ 一間半四方ノ祠ニテ東向ナリ 例祭六月七日 村持)
稲荷社(字北谷ニアリ 天王祠ヨリ三町許北ニ当レリ 僅ナル祠ナリ 村持

 高津区による「高津のさんぽみち」(平成29年3月)によると「当社に隣接していた五郎権現社とともに下作延村の鎮守であったという。明治末年の神社合祀令により、村内の五郎権現社、稲荷社、牛頭天王社を合祀して神明神社と称した。」としてゐる。
雑 記  南武線津田山駅から南南東へ0.5kmの所にある。

 タウンニュース(2)によると、6月24日に「正遷座祭」が行はれたといふ。昭和39年に建て直された社殿が平成27年の台風被害で損傷したため4月から改修工事行われ、5月末に完成してゐた。それまで御神体は本殿左手の稲荷神社を仮殿に安置されてゐたといふ。
 この記事には驚いた。訪れた時は本殿に鎮座してゐるものと思ひ、参拝してゐたから。仮殿に遷ってゐる旨案内が欲しかった。

 戦没者慰霊碑の碑誌には次のやうに記されてゐる。
国家の存亡をかけた太平洋戦争及び日清日露戦役に下作延から幾多の有為な青年が愛する肉親や郷土を後に戦地に征きました 無念にも敵弾にたおれ或は病魔に侵されて尊い生命を異郷に散華した英霊と本土空襲による戦災犠牲者に対しその遺族は勿論私共同じこの土地に生を受けた有縁の者として衷心より哀悼の意を捧げます
その後我が国の復興は目覚しく戦争を知らない世代の人が国民の半数を越え悲惨な戦争体験の記憶がうすれてきました 今日我が国の平和と繁栄は戦没者の貴い犠牲の上に築かれたものであることを忘れてはなりません
そして戦争を体験した大人達は子供達になんらかのかたちでその悲惨さを伝える義務があると思います そこで 私達は永く戦没者の名を留め再びこのようなことのない永遠の平和を祈念するため有志がここに一碑を建立し遺族を偲びつゝ戦没者の冥福を祈念するものであります
  昭和五十七年十一月
     下作延慰霊碑建立委員会
 ほかに、戦没者42名、戦災者10名の氏名が刻まれてゐる。
 WGIPの効果が顕れた碑文と思ふ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1





写真2  真新しい社殿。コンクリートは養生中。



写真5  本殿と、左に小さな祠の稲荷神社。


写真3


写真6  境内社(御嶽神社・五郎権現社)


写真4  戦没者慰霊碑


出典・脚注
  1.  新編武蔵国風土記稿 巻之六十一 下作延村 の条(文政13年(1830)成立の書、明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  2.  平成29年12月19日閲覧 タウンニュース 高津区版 2017年6月30日号

改訂記録
  • 令和06.04.21 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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