神社訪問記HP神奈川県川崎市

赤城神社(神奈川県川崎市高津区上作延)

参拝日 平成29年6月2日(金)
作成日 平成29年12月23日(土)
追記日 令和6年4月21日(日)
よみ  あかぎじんじゃ  
所在地  川崎市高津区上作延210 (北緯35度35分58.90秒 東経139度35分55.75秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 赤城神社
 本務社(白旗八幡神社)の兼務社
祭 神  磐筒雄命 ( いわつつのおのみこと )
由 緒  村社。境内に由緒の掲示は無かった。
 新編武蔵国風土記稿(1)には次のやうに載ってゐる。( )内は割注部分。
赤城社(村ノ東ニヨリ本社一間四方前ニ七級の石階アリテ其下ニ拝殿アリ 三間四方ニシテ南向ナリ 鎮座ノ年代ヲ伝エス 今村内ノ鎮守ナリ 神体ハ毘沙門ヲ本地トシテ祀レリ 其像長二寸許ニシテ立身ナリ 別当延命寺ニ蔵セリ 社前ニ畑アリ 近キ頃古鏡一面ヲ掘出セリ 年代ハ知サレト尤古物ト見ユ 其図上ノ如シ) (図略)

 神奈川県神社誌(2)には次のやうに載ってゐる。
由緒沿革 赤城神社は古くは第六天魔社と称していた。元暦元年(1184)に枡形山の城主稲毛三郎重成が源頼朝の命を受けて、この上作延に出丸を築いたとき巽の方にお祀りしたものという。その後建久四年四月那須野原の巻狩りに従った稲毛重成が、一夜上州赤城山の霊夢を見たので帰城の後磐筒雄命を奉じて、この第六天魔社にお祀りして社名を赤城大明神と改称した。寛元元年には近隣十七郷の氏神と尊称されていたが、現在では文禄三年に武州八王寺で戦死した三田筑後の末裔たる三田本家を中心とした一族によって奉祀が続けられている。
    参考 建久四年:1193  寛元元年:1243  文禄三年:1595
雑 記  南武線津田山駅から南南西へ0.5kmの所にある。

 上作延神明社の由来碑には、「寛永の頃上作延の人たちは皆同地赤城神社の氏子であったが、故あって伊勢講を中心とする人たちが同神社の氏子から離脱した」としてゐる。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1





写真2



写真3


写真4


出典・脚注
  1. 『新編武蔵国風土記稿』 巻之六十一 上作延村の条 (文政13年(1830)成立の書、明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  2. 『神奈川県神社誌』 神奈川県神社庁編 昭和57年刊 p.119 赤城神社

改訂記録
  • 令和06.04.21 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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