ホーム(都道府県の選択)神奈川県の神社にもどる

上作延神明神社(神奈川県川崎市高津区上作延)

作成日 平成29年12月23日
よみ  しんめいじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成29年6月2日(金)
所在地  川崎市高津区上作延4-16-1 (北緯35度35分40.40秒 東経139度35分54.49秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 神明神社
祭神  大日孁貴命 ( おおひるめむちのみこと )
由緒  村社
 神奈川県神社誌(1)には次のやうに載ってゐる。
由緒沿革 創立年暦や事歴は不詳。古老の言によれば、往時同上作述の人達は同地の赤城神社の氏子であったが、寛文の頃、故あって伊勢講を中心とする人達が同神社の氏子から離脱したという。すなわち寛文十五年に村中の者が大丸台に集り禰宜荒井出雲守を迎えて盛大な祭典を行ない神明神社を祀ったのを著しい事歴とする。当時から祭礼は八月又は九月二十五日に行なわれ、伊勢講と呼ばれていた。村社に列せられたのは明治六年十二月と記されている。
     注 寛文は13年までしか無い
 境内に「上作延神明神社の由来」と題する石碑がある。上記神社誌とほぼ同じ文もあるが、次のやうに刻まれてゐる。
鎮座地 高津区上作延1190番地
御祭神 大日孁貴命 ( おおひるめむちのみこと )
社殿 神明造り 銅板葺 11.87坪
境内坪数 569坪
由緒沿革  創立年暦や事歴は不詳。古老の言によれば、寛永の頃上作延の人たちは皆同地赤城神社の氏子であったが、故あって伊勢講を中心とする人たちが同神社の氏子から離脱したと云う。即ち寛永十五年(1638年)以後、その人達が大丸台(今の神社周辺の台地)に集まり禰宜荒井出雲守を迎えて盛大な祭典を行い、神明神社を祀ったのを著し事歴とする。当時より祭礼は八月又は九月25日に行われ、伊勢講と呼ばれていた。
 村社に列せられたのは明治六年(1873年)12月と記されている。
 神社はその後、幾多の改修が行われ今日に至ったが老朽化が著しく、平成14年二月取り壊し、平成15年10月社殿が新しく御造営されました。
雑記  東急電鉄梶が谷駅から西へ0.6kmのところにある。
 16時になり、梶が谷駅から帰途に就いた。丘陵地である。

写真

鳥居には「大正六年二月吉日」と年記がある

手水石は「明治三十二年九月吉日」と年記がある




脚注
  1.  『神奈川県神社誌』 神奈川県神社庁編 昭和57年刊 p.119 神明神社


inserted by FC2 system