神社訪問記HP神奈川県川崎市

宮内春日神社(神奈川県川崎市中原区宮内)

参拝日 平成29年10月27日(金)
作成日 平成30年8月19日(日)
追記日 令和6年4月14日(日)
よみ  みやうち かすがじんじゃ  
所在地  川崎市中原区宮内4-12-2 (北緯35度35分10.57秒 東経139度38分44.08秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 春日神社
祭 神  天津児屋根命(あめのこやねのみこと)
 菅原道真命(すがわらみちざねのみこと)
 健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
 伊弉諾命(いざなぎのみこと)
 稲倉魂命(うがのみたまのみこと)
由 緒  境内に由緒の掲示はなかった。

 新編武蔵風土記稿には次のやうにある(1)。( )内は割注部分。
春日社 (村ノ東ノ方高瀬ト云所ニアリ村ノ鎮守ナリ勧請年歴ヲシラス社五軒ニ三間南向ナリ神体ハ赤童子ナリ木ノ立像二尺許コノ神体昔ハ画像ニテイト古キ物ナリシヲ近キ頃其形ヲ彫刻セシト云例祭ハ年々十月一日ナリ社頭ニ木ノ鳥居ヲタツ)
 本地堂 (本社ニ向テ左ニアリ本地薬師木ノ坐像長三尺許堂ハ一間半ニ二間ナリ)
 末社八幡牛頭天王稲荷合社 (本社ニ向テ右ニアリ)
 別当常楽寺 (社地ノツゝキニアリ新義真言宗小杉村西明時ノ末春日山薬王院ト号ス開山ハ行基菩薩ナリト云本堂十一間ニ七間南向ナリ本尊大日木ノ坐像ニテ長二尺許縁起モアレトモツトモ信スベカラサルコトノミナレハハフキテ載スサレト応永年中ノ鰐口等モノコリシヲ見レハ古社ナルコトハ疑フヘカラス)
 宝物 鰐口一口 (コレハ昔神前ニ掛置シモノナリソノ図上ノ如シ(引用者註 図は引用略)) 獅子木像二頭 (イカナルコトニ用ヒシヤ由緒詳ナラス木ハ檜ナトノ如ク木理アリテ古質二ミユ) 石櫃 (本社ノ後ニアリ神霊イトアラタカナレハ近ツクトキハ祟アリトテアヘテ近ツクモノナシ苔ムシ埋リケレハオノツカラ朽テ今ハ其形モ見エス二十年前マテハ纔二見タリト云)  

 また、神奈川県神社誌には次のやうにある(2)
創建年代は詳らかでないが、近年発見された「武蔵国稲毛本荘検注目録」に「平治元年御検注定、春日新宮免二町」と書かれ、平安時代には鎮座していたことが判明した。社伝によると、境内に鹿を放し「関東の春日様」と呼ばれ多くの参拝者で賑わったと伝える。又本殿裏に昔から不思議な力をもつ石があり、これに触れると崇りがあると云われていた所より、石棺が発掘され、勾玉、管玉、高坏、須恵器等の祭祀遣物が出土している。現在の社殿は昭和三十五年に改築した。
     ( 註 平治元年:1159年 )

 社殿後方には石垣で方形に囲われた部分と次の掲示があった。
禁足地

春日神社附近は、多摩川の流れによって生れたデルタで自然堤防状の微高地で高瀬といわれている所です。
神社の裏にあります禁足地のいわれている所は、新編武蔵風土記稿(文化七〜十一年 西暦1810〜26)によれば、神霊いとあらたかなれば、近づくときは祟りありとし、あえて近づくものなし、苔むし埋りければ、おのづから朽ちて今はその形も見えず…と記されています。古墳といわれる禁足地が古くから、宮内の人々にとって特別神聖な場所であり、やがて人々の信仰の対象となる社が建立され、その後藤原氏の荘園となり藤原氏の祖神である春日明神が勧請されたといわれている。
また神社由緒概要によると、天平十年(西暦738)戌寅の頃、聖武天皇の御子阿部内親王(孝謙天皇)の御病平癒の為、春日明神の霊石に祈願せしに、たちまち霊験現ると、後にその霊石のもとに春日明神が勧請されたといわれている。その霊石は今なほ存せり。その後霊跡の遺物永く保存されしがいつの頃にか回禄(火事)の厄いに罹り烏有に帰せりと記されています。
平成19年四月、神社誌発刊に当り発刊記念として禁足地内に、真榊を植樹するに際し掘削したところ、霊石(約一米大)と思われる赤い石と壺が出土されました。故事を尊び霊石と思われる石は、直ちに元の所に丁重に埋め戻されました。 出土された壺は神社に保管されて居ります。
平成19年十月吉日
春日神社
雑 記  南武線武蔵中原駅から北東へ0.7kmの所にある。樹木が多く茂り異界に入ったかのやうに感じた。「禁足地」なるものも、さう感じさせる。古くからの禁足地は石垣で囲はれてゐる範囲のみではなくもっと広かったのかもしれない。
 社叢は「春日神社、常楽寺及びその周辺の樹叢」として神奈川県指定天然記念物に平成四年二月に指定されてゐる。

 御祭神は社頭の掲示に依った。神奈川県神社庁の神社詳細には「天兒屋命」一柱のみとなってゐる。(尚、春日神は、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の四柱) 合祀があったのだらう。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  社頭


写真2


写真3


写真4  禁足地とその掲示


出典・脚注
  1. 巻之六十四 宮内村の条 (文政13年(1830)成立の書、明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  2. 『神奈川県神社誌』神奈川神社庁編 昭和57年(1982) p.117 春日神社

改訂記録
  • 令和06.04.14 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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