神社訪問記HP神奈川県川崎市

小杉神社(神奈川県川崎市中原区小杉御殿町)

参拝日 平成29年10月27日(金)
作成日 平成30年8月19日(日)
追記日 令和6年4月13日(土)
よみ  こすぎじんじゃ  
所在地  川崎市中原区小杉御殿町1-1010 (北緯35度35分2.12秒 東経139度39分5.57秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 小杉神社
祭 神  天照皇大神(神明宮)
 日本武尊(杉山社)
 菅原道真(天満宮
由 緒  境内に由緒の掲示はなかった。
 なほ、「明治百年記念事業 小杉神社社殿改築之碑」があり背面には、
    御齋神
   天照皇大神  神明宮
   日本武尊   杉山社
   菅原道真   天満宮
    合社遷宮祭  昭和三十六年十月
    再築遷宮祭  昭和四十四年九月
    境内整備完成 昭和四十六年九月   
と刻まれてゐる。

 新編武蔵風土記稿には次のやうに記載されてゐる(1)。( )内は割注部分。
杉山社 (西明寺ノ境内ニツゝキニアリ村内鎮守三社ノ一ナリイツノ頃ノ勧請ナリヤソノ年月ヲ伝ヘス例祭ハ九月二十九日隔年ニ行ヘリ村内西明寺ノ門徒正覚院ノ持ナリシカ廃院ノ後本寺ノ持トナレリ)
 神明社 (小名山谷ニアリ神明ノ例祭隔年九月二十九日村民ノ持相殿総社権現神体ハ木ノ立像長一尺五寸束帯ノ状ナリコノ社ハ正徳ノ頃迄ハ村ノハツレ多摩川ノ傍ラニアリテ即村内成就院ノ持ナリシカ多摩川ノ岸欠崩レ其地ヲ失ヒタレハ神明ノ社ニ合セ祭レリトコノ二社ニ前ノ一社ヲ合セテ村内三社ノ鎮守トヨヘリ元徳三年ノ断碑一枚社地ニアリコゝニ伝ルユヘンヲシラス)
    ( 註 元徳三年: 1331年 )
雑 記  南武線武蔵中原駅から東北東へ0.9kmのところにある。西明寺は、当社の南東方にある。

 当社の北側には等々力(とどろき)緑地がある。緑地と名は付いてゐるが、陸上競技場・テニスコート・野球場・サッカー場・多目的広場・催物施設・博物館などの施設が主体で、名と体は違ふ。池がある事から、川の名残かと思ったら、嘗ては砂利採取場で砂利採取の為に生じた池の内の一つだといふ。でも、河川跡だから砂利採取されたので川と縁は切れない。(砂利採掘の大規模化は昭和10年から、その時の世帯数は5。公園用地として市が買収を始めたのは昭和32年)

 明治期の迅速測図をみると、八幡社・杉山社・神明社が記載されてゐる。明治初期の地図では小杉神社の現在地から西へ数十mの位置に八幡社が、その八幡社と御蔵稲荷社(小杉御殿跡之碑がある)との間あたり(小杉神社現在地から東北東へ二百m)に杉山社が、現在の成就院のあたり(小杉神社現在地から東北ないし東北東へ六七百米の位置)に神明社がある。かつての堤防に沿ってゐる。御蔵稲荷神社のあたりから見ると、等々力緑地は低地なのがよくわかる。

 小杉村は、明治22年に他五村と合併し中原村となり、大正14年に中原村と住吉村が合併し中原町となり、中原町は昭和8年に川崎市と合併してゐる。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真3


写真2


写真4  境内社 小杉天満宮


写真5  境内社 御嶽(おんたけ)神社


出典・脚注
  1. 新編武蔵風土記稿 巻之六十四 杉山村の条 (同書は、文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.04.13 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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