神社訪問記HP神奈川県川崎市

御蔵稲荷神社(神奈川県川崎市中原区小杉御殿町)

参拝日 平成29年10月27日(金)
作成日 平成30年8月19日(日)
追記日 令和6年4月13日(土)
よみ  おくら いなりじんじゃ  
所在地  川崎市中原区小杉御殿町1-713あたり (北緯35度35分6.19秒 東経139度39分16.04秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  ─
祭 神  ─
由 緒  次の碑が建ってゐる。
小杉御殿跡之碑
コ川二代将軍秀忠が鷹狩の際や中原街道を經て相州中原御殿への中宿として慶長十三年(1608年)着工中原街道の北側一万二千坪の地に表御門裏御門あり下馬札が立てられ御賄御蔵御殿番陣屋等の屋敷が棟を並べ規模大であつた 薬五十年後に建物の一部を品川の東海時に更に上野弘文院へ賜はり御殿は廃止となつた 此所は御蔵屋敷の跡で御蔵稲荷といわれ陣屋跡御主殿跡にも稲荷社がある

 背面には、
  昭和三十二年八月十八日 武蔵中原觀光協會建之
(1万2000坪はどのくらいの広さなのか見当を付けてみる。 12000坪≒4ha 、正方形とすると一辺200mの土地となる。) 地図を見ると、御主殿跡の御主殿稲荷社は、当社の南150mほどの所にある。
雑 記  南武線武蔵中原駅から東北東へ1.2kmのところにある。北西側は等々力緑地で、低地なことが良くわかる。

 社前に登る石段の石には、「當村 野村文左エ門」等と刻まれてゐて、上丸子の干鰯(ほしか)商の二代目野村文左衛門が私財を投じてに中原街道沿ひの各地に架設した石橋(八百八橋と云はれる、一千の石橋を架けると思つた由)の一部が転用されてゐるのだと云ふ。
 見たところ、折れたのか補修してある。当時は、田畑への用水が巡らされてゐたので沢山の橋が架かってゐたのだらう。また、この長さで渡される幅だったのだらう、さう想像してしまふ。
 魚肥は船で運ばれ、丸子で荷揚して各地に供給されたといふ。石は伊豆の小松石と云はれる。野村文左衛門は丸子村の人。寛政三年(1781)没。二ヶ領用水が完成したのは慶長16年(1611)。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3  向拝の彫刻( 拡大192kB)


出典・脚注
  1.  ─

改訂記録
  • 令和06.04.13 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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