神社訪問記HP神奈川県川崎市

市ノ坪神社(神奈川県川崎市中原区市ノ坪)

参拝日 平成29年10月27日(金)
作成日 平成30年8月25日(土)
追記日 令和6年4月13日(土)
よみ  いちのつぼ じんじゃ  
所在地  川崎市中原区市ノ坪54 (北緯35度34分22.31秒 東経139度39分27.76秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 市ノ坪神社
祭 神  大日孁命 ( おおひるめのみこと )
 面足命 ( おもだるのみこと )
 惶根命 ( かしこねのみこと )
由 緒 社号標の背面には御祭神名のほか、由緒が次のやうに刻まれてゐる。
鎮座の年代は不詳なれど江戸時代の文献(武蔵風土記)に。
 神明宮。村の北にあり(市ノ坪村の鎮守なり)
 第六天社。村の北にあり。と記されている。
天正五年神明宮(市ノ坪九十二番地)鎮座を第六天社(市ノ坪五十四番地)に合社し、神明宮と称す。昭和十六年川崎竹内作蔵氏の寄進により本社石積み、茅ぶきを瓦ぶきにふき替へが行われしが建物も追々老朽化し町内有志相集ひ、社殿改築の期を観るに至る。昭和四十六年七月全町内より五十九名の建築委員が選出され三ケ年計画にて社殿改築を決定。各町内及び区外の有志の貴い浄財を頂き昭和四十八年八月完成尚社殿改築に際し神明宮を市ノ坪神社と改め併せて此れを記念とし建築委員全員の貴い浄財を得北の塔を建立す。
  昭和四十八年八月吉日

 新編武蔵風土記稿には次のやうに載ってゐる(1)。( )内は割注部分。
太神宮 (村ノ北ニアリコノ所ノ鎮守ナリ本社ノ前ニ拝殿アリ二間四方勧請ノ年歴ヲ伝ヘス村内東福寺ノ持)
第六天社 (村ノ北ニアリ是モ勧請ノ時代ヲ失ヘリ同寺ノ持)
 末社御嶽社 (社地ニ入リ右ノ方ニアリ)  稲荷社 (同シ辺ニアリ)
雑 記  南武線武蔵小杉駅から南南西へ0.4kmの所にある。

 市ノ坪村は、明治22年に他五村と合併し住吉村の一部となり、住吉村は大正14年に中原村と合併し中原町となり、中原町は昭和8年に川崎市と合併してゐる。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3  境内社 向って右は稲荷社、左は御嶽神社


写真4  力石と地神塔


出典・脚注
  1. 新編武蔵風土記稿 巻之六十五 市ノ坪村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.04.13 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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