神社訪問記HP神奈川県川崎市

三社宮(神奈川県川崎市中原区下沼辺)

参拝日 平成29年11月1日(水)
作成日 平成30年9月1日(土)
追記日 令和6年4月13日(土)
よみ  さんしゃぐう  
所在地  川崎市中原区下沼辺1745 (北緯35度34分26.81秒 東経139度40分6.52秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 三社宮
祭 神  木花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと )
 倉稲魂命 ( うかのみたまのみこと )
 磐筒男命 ( いわつつのおのみこと )
由 緒  社頭に次の掲示があった。
三社宮
 明治四十五年四月一日(1912)付けで東京府(都)と神奈川県の境が多摩川によって区切られたため、多摩川のこちら側にあった下沼部は荏原郡下沼部より分村することになりました。分村して神奈川県橘樹郡御幸村下沼部となりました。
 当時の氏神様は、浅間神社(今の大田区亀山々上)でしたが、分村することになったため氏神様も分社する事になりました。
 これより先、東京川下沼部に鎮座する赤城神社が明治四十二年七月一日に浅間神社に合祀されたため空社殿を譲り受けることになりました。
 社殿の引渡しは、明治四十五年七月中旬に行われたそうです。渡し舟二雙を清めて、川を下り接岸、向河原十五軒の氏子に引渡したとのことです。
 社殿に向って右側に赤城神社の社殿であるため「磐筒男命」中央には、昔から氏神様である浅間神社の「木花咲耶姫命」左側には昔から村にあった稲荷堂の「宇加之霊」を合祀して「三社宮」と命名しました。
 昭和十一年七月、日本電気株式会社が下沼部地区の現在地に玉川工場を設立し、村は急速に発展してきました。それに伴って、道路を拡張(現在の駅前通り)することになり、それまでの下沼部1915番地から、現在の社殿は昭和十三年五月に移築しました。
 以上が三社宮の歴史です。
三社宮氏子中
平成十二年一月吉日
雑 記  南武線向河原駅から北北東へ0.2kmのところにある。東には多摩川が南流してゐる。
 元社の浅間神社は当社の北1.5km、多摩川左岸の東急多摩川線多摩川駅の南すぐにある。昭和十三年に移築する前の1915番地は下沼部交差点の東、現社殿から南南東80m程の所にある。

 鳥居は「平成十六年三月吉日建之」と刻まれてゐる。記念碑には、「合祀遷宮百周年記念碑」があり「平成二十四年十月吉日 三社宮奉賛会 氏子一同」とある。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


出典・脚注
  1.  ─

改訂記録
  • 令和06.04.13 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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