神社訪問記HP神奈川県川崎市

八幡大神(神奈川県川崎市中原区上平間)

参拝日 平成29年11月1日(水)
作成日 平成30年9月20日(木)
追記日 令和6年4月13日(土)
よみ  はちまんだいじん / はちまんおおかみ  
所在地  川崎市中原区上平間299 (北緯35度33分41.90秒 東経139度40分31.26秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 八幡大神
祭 神  誉田別命 ( ほむだわけのみこと )
 天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
 素盞嗚命 ( すさのおのみこと )
 菅原道真 ( すがわらみちざね )
由 緒  神奈川県神社誌には次のやうに載ってゐる(1)
由緒沿革 創立年月は不詳であるが、口碑に依れば往古多摩川大洪水の際、東京府下府中の土石原八幡宮社殿流出し同社安置の御霊が当村に漂着した。住民相寄り一祠を建立して之を祀った。其の後社殿を改築し村内日蓮宗発田寺住職が別当職となったという。尚配祀の天照皇大神は宝永二年十一月十四日、当村住民勘左ヱ門なる者、伊勢大廟より御分霊を負いて帰村し、村民一統協力して多摩川の流域に一祠を建立したのに起因する。明治六年十二月村社に列し、明治四十三年一月十三日、無格社須賀神社、天満宮、神明社等を合祀、大正十三年四月四日神饌幣帛料供進神社に指定された。

 新編武蔵風土記稿には次のやうに載ってゐる(2)。( )内は割注部分。
八幡社 (村ノ中央江戸ヘノ往来ノ傍ニアリ拝殿二軒ニ三間内陣一間半ニ二間本地弥陀ノ坐像長九寸例祭八月十五日社前ニ石ノ鳥居及石段アリ法田寺ノ持此以下三祠モ同寺ノ持)
天王社 (社地ハ小高ク南向ノ祠ニテ前ニ鳥居ヲ立神体不動長九寸許例祭六月六日)
天神社 (天王社ノ並ニアリ南向の小祠ナリ神体八寸許束帯ノ木像ナリ例祭二月二十五日)
神明社 (社一間半ニ二間南向神体立像ニテ一尺余例祭十一月十五日イツレモ鎮座ノ年代ヲ詳ニセス)
雑 記  南武線平間駅の東ないし東北東へ0.4kmの所にある。東方には多摩川が南流してゐる。

 アミガサ事件百年の碑(平成二十六年九月十六日建立)、「アミガサ事件集結の地」の掲示(2009年九月十六日付、800文字程の説明文あり)がある。 
 アミガサ事件とは、 大正三年に多摩川の築堤を求めて陳情しようと、アミガサ(編笠)を着けた住人達が各地の寺社に集り、横浜の県庁を目指した。各村の代表だけが県知事に会ひ築堤の早期施工を求めた。下平間の住民は当社に集合した、といふもの。この事件を契機に築堤の機運が高まり、翌年着任した新知事有吉忠一が道の改修を名目に郡道をかさ上げし代用堤防とする工事を始め、内務省から工事中止命令を受けながらも、国を説得し、大正四年九月に竣工した。有吉知事の名にちなんで有吉堤と名付けられた。有吉堤は、御幸村上平間天神台から中原村上丸子の旧橘樹郡道、全長は資料により異なり1.7から2.2km。
  参考 多摩川の見どころ 多摩川の名脇役 4.有吉堤(国土交通省関東地方整備局)

 社名は、神奈川県神社誌には「はちまんおおかみ」、神奈川県神社庁神社詳細(web)には「はちまんだいじん」とある。どちらが使はれてゐるのか、正式なのか不明。公開されてゐる宗教法人名簿には読みは記載無かった。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3  拝殿の扉は開かれてゐる。七五三詣の為かもしれないが有難いこと。訪れた日は宮司さん不在の模様。


写真5  台座に経緯が刻まれてゐる。「旧社名額 平成二十二年九月吉日新調した神輿の高さ幅が旧鳥居では通るのが困難な為ご町内の皆様のご協力で大鳥居が新調されました。記念として茲に旧鳥居社名額を納めました」


写真4  境内社 八幡稲荷(覆殿の扉が開かれてゐる)


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』 神奈川県神社庁編 昭和57年 p.114 八幡大神(はちまんおおかみ)
  2. 『新編武蔵風土記稿』 巻之六十四 上平間村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.04.13 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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