神社訪問記HP神奈川県川崎市

天満天神社(神奈川県川崎市幸区東古市場)

参拝日 平成29年11月1日(水)
作成日 平成30年9月20日(木)
追記日 令和6年4月12日(金)
よみ  てんまんてんじんしゃ  
所在地  川崎市幸区東古市場84 (北緯35度33分9.94秒 東経139度41分20.22秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 天満天神社
祭 神  菅原道真 ( すがわらみちざね )
由 緒  境内の石碑には次のやうに刻まれてゐる。
天満天神社由来
社名 天満天神社
祭神 菅原道真
祭礼 十月二十五日
    現在は八月二十五日を中心に行う
一、 祭神道真公は幼少より叡智に優れ、常に勉学に励みその学識を持って遂には太政大臣に任ぜられ治世に多大なる貢献をなした。その功績により後に菅公として神に祀られ、学問の神様と信仰を厚くしている。
一、 神社の鎮座は明らかではないが、安政二年江戸大地震に折損した初期の鳥居に刻まれた年号や古い文献により、約三百数十年前、古市場農民二十数戸の尊い浄財により村の氏神として建立されたものと推定される。当時の所在地は、多摩川大橋の上流約五十米の中央河川敷にあり幕府量であったが、明治以降、府県制の制定により東京府荏原郡矢口村古市場となり上台東部大地に一千余坪の神域を有し、茅葺の神社ではあったが、境内には松杉の老木が生い繁り、尚毎年十二月二十五日には有名な古市場天神の「市」が開かれ、近郷より集まる者多く盛況を極めた。
しかし、社会の進展に伴い大正三年を最後に終始することとなった。
明治四十五年四月、神奈川県御幸村に編入され、毎年の洪水で荒廃した神社の大改修と境内の整備を行い、大正四年十月遷宮祭を執行した。現本殿前の大銀杏は当時篤志信者より奉納された記念樹であり、大きな樟は紀元2600年記念に国より拝受したものである。
一、 大正九年十二月、多摩川大改修のため、神社も村の中心地に移転し整備された。昭和十六年一月、大東亜戦争による東芝工場拡張のため、余儀なく現在地に移転した。
一、 昭和三十七年、度重なる移転で老朽した本殿・社務所を、古市場全町有志の浄財により新たに建立し、遷宮祭を盛大に執行した。尚この度移転した鳥居は、大正十二年の大震災で折損し補修してあったが、末永く保存すべく旧社跡に移転復元し、更に社の由来を後世に伝えるため記念碑を建立したものである。

 新編武蔵風土記稿には次のやうに載ってゐる(1)。( )内は割注部分。
天神社 (見捨地四畝多摩川ノ南小名上台耕地ニアリワツカナル祠ニテ前ニ拝殿アリ九尺四方ホト勧請ノ年代ヲ伝ヘス祭礼ハ年々七月十日十二月二十五日ニテ古ヨリコノ日社頭ニ市タチテ近郷ノ人群集セリ村名モコレニヨリテ起リシコトハ既ニ前ニ出セリ是ニヨレハ此神社モ古代ヨリコヽニタテシニヤ村内円応寺持)
雑 記  南武線鹿島田駅から東へ1.2kmの所にある。
 
 昭和22年発行(昭和20年修正)の地理院地図を見ると、現在地の南200mの工場敷地内に当るところに神社記号がある。移転前の情報が残ってゐるのだらう。
 鳥居は、「昭和三十七年八月二十五日 東京芝浦電気株式会社」とある。玉垣の最も大きな部分には「株式会社 東芝」とある。昭和16年移転の経緯を考へるとおろそかにはできないだらう。

 かつて、当社の前の道路をしばしば通ってゐた。東芝の工場に用があったのだ。当時は東芝TR(トランジスタ)、と呼んだりしてゐた。参拝後、通用門の前を通ったが工場・守衛所はかつてと変らない様子だった。東芝科学館があったが、川崎駅前に東芝未来科学館を名を変へて平成26年(2014)に移転してゐるし、様々な事業再編があったから中に入つてみると様変りと思ふ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真4


写真5


出典・脚注
  1. 新編武蔵風土記稿 巻之四十四 古市場村の条 (本書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.04.12 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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