神社訪問記HP神奈川県川崎市

御嶽大神/御嶽神社(神奈川県川崎市幸区塚越)

参拝日 平成29年11月7日(火)
作成日 平成30年10月7日(日)
追記日 令和6年4月12日(金)
よみ  みたけおおかみ  
所在地  川崎市幸区塚越1-64 (北緯35度32分46.59秒 東経139度40分45.14秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 御嶽大神
祭 神   日本武命 ( やまとたけるのみこと )
由 緒  新編武蔵風土記稿には次のやうに載ってゐる(1)。小文字の( )内は割注部分。
御嶽社 (村ノ北ノ方丘上ニアリ本社七尺四方其中ニ宮造ノ社ヲ安セリ拝殿二間半ニ二間共ニ東向キナリ前ニ石階二十段アリテ其下ニ鳥居ヲタツ勧請ノ年代詳ナラス例祭ハ九月十八日ナレトモ其年ヲ定メス作物豊年ノ年々ハ祭レリト云東明寺持)
雑 記  南武線鹿島田駅から南南東へ0.9km、同線矢向駅から北へ0.9kmのところにある。

 境内に明治四十五年の「樋誌」碑がある。意味の通じない箇所もあるが、読取れる範囲で転記した。(変体仮名は現在のかなに、また、正漢字は当用の字体に置換えた。)
明治十二年用水樋改修以来三十余年木質腐朽して漏水多く歳々修繕する○忽に破損して用 水の流過を妨げ稲田水涸れて地力頗る衰へ○ゝば只管改修○○懸げ明治四十二年三手○の 上にある二個の樋を土管もて改築し翌四十三年及四十五年に○小向樋及山谷樋を改修○て 石樋となし此十余年が程の懸案なる樋の改修○全部落成を告げぬ殊に常設委員沼田重作氏 及鳥養新太郎氏の熱心に工事を督励し一般諸人の懸命に作業したる○山谷樋改修費を共通 経済の事業として諸他乃工事に先ちて採択したる村長榎本勇次郎氏及村会議員諸氏の厚意 とは後の人の記憶○ひきこ○に○はる
 由緒で引用した風土記稿には、用水をいくつか載せてゐるが、その一つに次の記述がある。小文字の( )内は割注部分。
 「用水樋 (五カ所アリ 中略 其余二ハ村ノ中央戸手村用水堀ニアリ御嶽社ト東明寺ノ間ニ架ス共ニ長三間横三尺六寸高三尺アリ五カ所トモニ地頭所ニテ造ル所ナリ)

 境内に川崎歴史ガイドの標があり、「御嶽神社と塚越  近くに塚越の地名の由来となった円墳がある。御嶽神社創建時にこの円墳の一部が盛土として使われた際、刀剣が出土した。また、南北朝時代のものと考えられる板碑が出土している。」と記されてゐる。これを前提に考へれば、当社の創建は南北朝時代以降文政年間までとなる。
 円墳はどこにあるのかと思ひ、境内で清掃の奉仕をしてゐる方に話しかけたところ、尋ねられたことがあるが私にもわからない、とのこと。
 当訪問記を書くに当り調べたら、社殿から東北ないし北北東へ100m余の、住宅に囲まれたところにあるらしい。写真付で紹介(2)されてゐた。

 社名は、鳥居(昭和四十九年十二月十五日建之とある)扁額に「御嶽神社」等の表示があるので、社名には、御嶽大神と御嶽神社を併記した。なお、旧鳥居の一部とその扁額、力石が樋碑の隣に保存されてゐるが、扁額には御嶽大神とある。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真4


出典・脚注
  1. 『新編武蔵風土記稿』巻の七十二 塚越村の条 (文政13年(1830)成立の書、明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  2. 平成30年10月6日閲覧 週末は古墳巡り内の2017-04-13 塚越古墳 川崎市幸区塚越

改訂記録
  • 令和06.04.12 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

文頭へ移動  ホーム(神社訪問記)
inserted by FC2 system