神社訪問記HP神奈川県川崎市

田町稲荷神社(神奈川県川崎市川崎区田町)

参拝日 平成29年11月10日(金)
作成日 平成30年10月13日(土)
追記日 令和6年4月10日(水)
よみ  いなりじんじゃ  
所在地  川崎市川崎区田町2-3-5 (北緯35度32分7.79秒 東経139度44分35.25秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 稲荷神社
祭 神  宇迦之魂神 ( うかのみたまのかみ )
 市杵島姫神 ( いちきしまひめのかみ )
由 緒  社殿内に額に掲げられた由緒にかかる文書がある。 (転記に際し、漢字で正字を用いてゐる部分は当用の字体に置換えた。)
宗教法人 稲荷神社 記録

由緒  祭神 宇迦之魂神 市杵島比売神
創立年月その他一切詳ならず 古くは弁天社の末社として稲荷神社ありたりと伝ふる 今は相殿に市杵島比売神を祀る 明治維新迄は清宝院(教覚院千蔵寺)別当職たり 古きより年々十月二十四日祭典を行い来れるもその後七月三日に改めらる 新編武蔵風土記稿巻之七十一橘樹群之十四川崎領の項
稲荷新田の条中に
弁天社 村の西方にあり 小祠なり勧請の年代を伝へす 末社稲荷社 社に向左にあり三間に二間 別当清宝院と有り
一.本殿 流造 間口三尺二寸奥行二尺三寸 建立年月日不詳
一.覆殿 権現造 四坪          昭和二年七月三日之建
一.拝殿 権現造 二坪二合二勺      同右
(中略)
旧社格 無格社
大東亜戦争後 神道指令に基く神社本庁所属の宗教法人としての神社規則を成案 昭和二十一年二月二十八日神社本庁統理の承認を得 時の役員 (中略)

昭和二十六年一月二十四日国有地185坪76勺を神社境内地として無償譲与の許可をせらる(川崎市中瀬町三丁目128番地教覚院千蔵寺隣地)
昭和二十六年九月当稲荷神社は周囲会社に囲まれ然も附近は氏子区外なる為の氏子民の総意に基き氏子の中央なる川崎市大師河原5221番地に移転する事に決定諸般の手続を行ふ
昭和二十七年一月二十五日新鎮座地遷座奉告祭並に起工式執行
昭和二十七年六月十九日宅地弐百五拾四坪を新境内敷地として購入登記を完了 同時に旧境内地は売却せり
 註 現境内地実測坪数231.23坪(都市計画区画坪依る)
昭和二十七年八月十六日十七日両日に亘り神社移築完工を祝い遷座奉祝祭典を執行 移管費 238000円
(神社総代等役職者・大工氏名略)
昭和○十五年三月吉日  稲荷神社 宮司 中村博光 印

 境内に掲示されてゐる文書には次のやうにある。
田町稲荷神社
元清宝院除地内(中瀬の小松製作所の東南隅・現智覚院千蔵寺境内)に弁天社の末社(建立年不明)としてあり、いつの頃かご神体たる神像が盗難に遭い失われたこともあり、宝暦十四年(1764)正月名主池上七左衛門、小島六郎左衛門他十一名が願主となり勧請し、祭神の宇迦御霊神、大宣都比売(おうげつひめ)神を合祀し、稲荷神社と称するようになった。池上名主家の屋敷神は屋敷内(現在の東門小)に祀られていて、田町稲荷神社は池上七稲荷(上・下田町、出来野、日の出、昭和、四ッ谷、観音の一部)と小島六郎左衛門の六稲荷(江川、上・下殿町)の両稲荷新田の中心部東南の方向に向けられて建立されたと考えられます。そして昭和二十七年八月十三日、川崎市の下水道処理ポンプ場を作る為に、現在地まで社殿をそのまま「コロ」で引いて移され遷座せられました。
<願主十三名>(氏名略)
 「安鎮願主書」も拝殿内に掲げられてゐる。広げてあるが、折りたたんで保管されてゐた際に表の部分が汚れて、折目にも汚れがつゐてゐる。本物だらうか?
 小松製作所は既に無くなってゐる。東門前駅の西北西100m余の所、現在地からは西北西へ1.0kmの所と思はれる。
雑 記  京浜急行電鉄大師線産業道路駅から東南東へ0.2kmの所にある。

 産業道路駅は、近くの産業道路と線路が踏切で交わるため踏切解消のため地下化工事が行はれてゐる。地下化は平成30年度の予定とされてゐるが、翌年に延びさうだ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真4  向拝の彫刻(拡大 355kB)


出典・脚注
  1.  ─

改訂記録
  • 令和06.04.10 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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