よみ
| しんめいじんじゃ
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(東西 1.13 km×南北 0.84 km)
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参拝日
| 平成29年11月10日(金)
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所在地
| 川崎市川崎区塩浜2-7-10 (北緯35度31分24.11秒 東経139度44分24.02秒)
地図:地理院地図
いつもNAVI
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HP等
| 神奈川県神社庁 神社詳細 神明神社
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祭神
| 天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
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由緒
| 境内に由緒が掲示されてゐる。
御案内
神明神社
御祭神 天照大神
例祭日 十月十六日
境内 1063m2(約322坪)
徳川幕府は江戸を新都と定めるに伴い軍事上上方からの塩の途絶をおそれ東京湾諸村に塩田の開発を奨励した。大師河原村では寛文年間に塩浜が開かれ塩の生産が始まり、やがて塩浜地区の鎮守として神明社が祀られた。
現在本殿の石製厨子に「延宝七年」(1679年)の銘があり「新田鎮守」と記されているので当社の勧請はこの年の事と見られる。現社殿は「安政元年」(1854年)造立の神明造り本殿に拝殿を附設したもので向拝等の装飾によくこの時期の特徴が表れている。なお拝殿内に明治十九年(1866年)奉懸の大きな扁額がある。これは幕末から明治にかけ各地を襲い多大な犠牲を出した「コレラ」のさい塩浜の人々が神明社の加護により救われたことを謝したもので当社の御神徳と氏子の崇敬を表白した貴重な証である。
稲荷神社
略 塩浜稲荷神社参照
塩釜神社
御祭神 塩土老翁神
例祭日 七月十日
製塩を業とする塩浜の人々の職業神であり古来安産の神としても信仰された。勧請の年代に詳らかではないが神明社の創立とさほどへだたりはないであろう。塩浜は元禄十年(1697年)に約二十余町の塩田を有し明治四十三年の廃塩時にも釜屋は九ツを数えた。その製塩のさまは「江戸名所図会」に紹介されている。石製狛犬の台座銘には江戸塩問屋○名もみえ製塩の盛んであった頃が偲ばれよう。
社殿は昭和二十年五月戦災で焼失し同三十九年新築されたものである。
昭和五十五年十一月
塩浜町内会
塩浜今昔会
転記者註 明治十九年:1886年
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雑記
| 京浜急行電鉄大師線小島新田駅から南南西へ1.4kmの所にある。
「塩浜」と聞くと、防災の面から見ると津波や高潮の害を受けやすい所、と見る。当地の場合は塩田からといふが、沿岸部は警戒が必要には違ひない。埋立てで海が遠くなってゐるが忘れてはいけない。
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