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住吉神社(神奈川県川崎市中原区木月)

作成日 平成31年2月16日
よみ  すみよしじんじゃ 地理院地図、東西 1.13km×南北 0.84km の範囲の地図です
(東西 1.13 km×南北 0.84 km)
参拝日  平成29年11月29日(水)
所在地  川崎市中原区木月(きづき)1-20-1 (北緯35度33分56.98秒 東経139度39分16.20秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 住吉神社
祭神  大己貴命 ( おおなむちのみこと )
 天照皇大御神 ( あまてらすすめおおみかみ )
 天津児屋根命 ( あまつこやねのみこと )
 誉田別命 ( ほむだわけのみこと )
 大国主命 ( おおくにぬしのみこと )
 須佐之男命 ( すさのおのみこと )
 菅原道真 ( すがわらみちざね )
 菊理姫命 ( くくりひめのみこと )
 倉稲魂命 ( うかのみたまのみこと )
 建御名方命 ( たけみなかたのみこと )
由緒  境内には由緒の掲示は無かった。

 新編武蔵風土記稿には次のやうに載ってゐる(1)
矢倉明神社 (村ノ乾ニヨリテアリ社前ニ拝殿アリ祭神及ヒ勧請ノ年歴詳ナラス村ノ記二寛永十五年建立セシヨシアレハコノ時始レトコノコト全ク社伝ヲ失ヒタレハ古ヨリ立タル宮ヲ再建セシモ又シルヘカラス例祭ハ毎年九月二十日村内妙海寺司トレリ)
伊勢宮 (村ノ北方耕地ノ中ニアル小祠ナリ元和年中ノ勧請ニシテ村内妙海寺大楽寺両寺ノ持ナリ
白山社 (村ノ西ニアリ百姓持)
春日社 (村ノ北ニアリ是モ百姓持)
第六天社 (村ノ南ニアリ小祠妙海寺持)
天神社 村ノ中ホトニアリ当社ハワツカナル祠ナレト社地ニ大サ三囲ハカリナル松樹立ハ古キ社ナルコトシラル百姓持
八幡社 村ノ東ニヨリテアリ本社ハ尤小祠ニテ前ニ二間半ニ一間半ノ拝殿アリ是モ百姓持
天王社 村ノ西ニアリ社前ニ二間四方ノ拝殿アリ妙海寺持
諏訪社 村ノ巽ノ方矢神川ノ辺ニアリ是モ妙海寺持

 神奈川県神社誌には次のやうに載ってゐる(2)
由緒沿革  当神社は元、矢倉神社と称していたが、明治四十二年村内鎮座の、伊勢宮、八幡社、子之神社、八雲神社、春日神社、天神社、白山神社、稲荷社、諏訪神社、神明神社の十社を矢倉神社に合祀し、村名を取り住吉神社と改称した。矢倉神社の創建年代は詳らかでないが、武蔵風土記の木月村の項に「矢倉明神社、村の乾によりてあり、社前に拝殿あり」と書かれている。大正末の東横線開通に始まり、数度に渡る駅拡張工事により、境内は往時の半分程になってしまった。現在の社殿は昭和三十四年に改築した。
雑記  東急電鉄元住吉駅西口から線路に沿って100mの所にある。

 明治期迅速測図を見ると当社から北へ0.6kmに大神宮、東へ0.6kmに春日社、南ないし南南東へ0.3kmに稲荷社が記されてゐる。迅速測図は社名が記されてゐるのがありがたい。今の地理院地図には社名が記載されていない。
 風土記稿の春日社と位置が違ふので同一かは不明。

 境内には忠魂碑がある。背面に大きな文字で「大正十四年三月建之 住吉村」と、あと五文字ある。残念ながら、あと五文字が私には読めない。小さな文字で300名近い氏名が刻まれてゐるが、近寄れないこともあり、詳細は判らない。

 また、明治・大正の頃の力石三個がおかれてゐる。

写真

社号標は昭和九年奉納、鳥居は安政二年のもをの昭和五十四年に再建してゐる


写真右上に東横線の高架が写ってゐる

御本殿

脚注
  1. 『新編武蔵風土記稿』 巻之六十五 木月村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  2. 『神奈川県神社誌』 神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.117 住吉神社


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