由 緒
社頭に次の掲示があった。
鹿島大神
祭神 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
由緒沿革
本神社は鎌倉時代現在の鹿島田あたりに開墾に入った人々が今日関東地方で広く知れ渡った鹿島神宮から勧請(神の分霊を移し祭ること)して創建されたと伝えられています。やがて開墾が進み水田ができあがるとこれを村の鎮守鹿島大神に寄進した。のちに鹿島田の水田・・・・・・・ こうしていつのまにか「鹿島田」という地名が生れたと言われています。
文献上に鹿島田の地名が見えるのは鎌倉時代で弘安九年十一月廿九日(千弐百八拾六年)鶴岡八幡宮に寄進され「武蔵野国鹿島田郷」と記されています。
町名にも関係する鹿島大神は昭和の初頃までは「鹿島さま」といわれていて十二月には大きな市がたち奉納相撲などもあり近隣の村々から大勢の人々が集り大変賑わったといわれています。
新鶴見操車場の建設に伴って昭和二年に現地に移転しましたがそれまでは、操車場の中の宮城野711番地信号所付近に建っていたそうです。
年間祭事表
元旦祭 一月一日
夏祭 七月第一日曜日
秋大祭 十月第二日曜日
七五三 十一月第一・第二日曜日
煤払・お炊きあげ 十二月三十日
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新編武蔵風土記稿には次のやうに載ってゐる(1)。
鹿島社 (村ノ南ノ方ニテコノ所ノ鎮守ナリ本社二間ニ三間拝殿モ同シ神体鹿嶋香取息栖ノ三神イツレモ長六寸許ノ立像ニテ束帯の形ナリ本地仏ハ釈迦座像長二寸内浄蓮寺ノ持)
末社第六天社 (本社ニ向テ左ノ方ニアリ)
稲荷社 (是モ同辺ニアリイツレモ小祠)
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| 雑 記
| 新川崎駅から北へ150m、南武線鹿島田駅から北西へ0.3kmの所にある。
旧地は、明治期迅速測図を見ると「鹿嶌神社」とあり、現社殿から西へ100mで、現在は新川崎駅ホームの北端辺りとみられる。鶴見操車場は既に無く、一部はJR貨物新鶴見機関区となってゐる。
境内には幼稚園がある。
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