神社訪問記HP神奈川県川崎市

熊野神社(神奈川県川崎市幸区北加瀬)

参拝日 平成29年12月6日(水)
作成日 平成31年3月4日(月)
追記日 令和6年4月9日(火)
よみ  くまのじんじゃ  
所在地  川崎市幸区北加瀬1-13-2 (北緯35度32分59.96秒 東経139度39分54.12秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 熊野神社
祭 神  伊邪那岐命 ( いざなぎのみこと )
 伊邪那美命 ( いざなみのみこと )
 速玉男命 ( はやたまおのみこと )
 事解男命 ( ことさかのおのみこと )
 倉稲魂命 ( うかのみたまのみこと )
由 緒  境内の掲示には次のやうにある。(手書で漢字は正字が使はれてゐる。引用に際し、当用されてゐる字体に置換へた。)
熊野神社由来
一、鎮座地 神奈川県川崎市北加瀬976番地
二、祭神  伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
      伊弉冉尊(いざなみのみこと)
      事解男命(ことさかおのみこと)
      稲倉魂命(いなくらたまのみこと)
三、祭礼日 新年祭(春祭) 四月一日
      例大祭    十月一日(八月
      七五三祭   十一月十五日
      新嘗祭    十二月一日
四、由来  当社は武蔵風土記によると天正十五年十月(今より383年前)後陽成天皇の御代北条左京太夫氏直の建立したものであると、又他の古書によればそれ以前既に鎮座しおりしもののようにも伝えられる 一説には安政九年頃(109年前)火災に罹りしとも伝○ 現在の境内に本宮、二の宮、三の宮と三社鎮座していたが明治四十二年二の宮、三の宮、並に村内山崎、原、西の各稲荷社を本宮に合祀した
大正十二年九月関東大震災に罹災したため応急修理をなし昭和七年春再建工事に着手九月完成現在に至る
 昭和四十六年八月吉日

 新編武蔵風土記稿には次のやうに載ってゐる(1)。( )内は割注部分。
稲荷社 (村ノ東野方ニアリ二間ニ三間ノ祠東向前ニチヒサキ鳥居ヲ立ツ山崎稲荷ト号セリ当社二元禄ノ棟札アリコノ頃再建ナリヤ鎮座ノ年歴又名ヲ得シ故詳ナラス村内寿福寺ノ持)
稲荷社 (村ノ西ニアリ是モ二間ニ三間東向前ニ鳥居ヲ立リ勧請ノ年代ヲ伝ヘス村民ノ持)
熊野社 (加瀬山ノ中了源寺ノ背ニアリ村ノ鎮守ナリ覆屋二間四方二三尺四方ノ宮ヲ置ケリ石ヲモテ作レル鳥居ト木ノ鳥居アリ相伝此社ハ北条左京大夫氏直ノ建立ナリトコノ社ニ並ヒテ富士浅間ノ社アリソノ処ハ小高クシテ富士山ノ形ヲナセリ前ニ鳥居ヲ立ツ村内寿福寺ノ持)
稲荷社 (村ノ中央小名原ニアリ二間ニ三間南向豊嶋魂稲荷ト呼リ鎮座ノ初ヲシラス村民ノ持)
 尚、村の説明には、加瀬山の「中央ヲ両村ノ境トナセリ」、とある

 本社の北西50m程の所に「境内社 浅間神社」がある。向拝に由来が掲示されてゐて、次のやうに記されてゐる。
浅間神社 由来

一、祭神 木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)(女神)
二、祭礼日 七月一日
三、由来  浅間神社は富士山麓の他全国数多く散在する神社で、総本社は静岡県富士宮市宮町にあり平安時代の初期、大同元年(806年)に創建された。 当北加瀬浅間神社は、江戸時代文化元年(1804)に建立、広く当地周辺住民が安産の神として信仰を集めている。
社殿が老朽破損したため、現在の社殿は昭和四十七年九月、北加瀬氏子の方々の寄附金により再建されたものである。
新編武蔵風土記稿、熊野社の記述に続いて「この社に並びて冨士浅間の社あり。その処は小高くして富士山の形をなせり。前に鳥居を立つ。村内寿福寺持」と記されている。
社殿に向って左側に石塔が現存する。石塔に向って左側面には「寿福寺」。右側面に「文化元年甲子年十一月吉日」と刻まれている。
四、浅間塚 出土品 東京国立博物館蔵
 一、鏡 銅製 方形 委州官鋳造監○○の文字あり
 一、鏡 銅製 円形 草花飛雀紋
 一、甕 陶製 片口形 常滑焼、十二世紀方半の作と推定される
 一、これらの出土品は、大正九年 当塚から発見されたもので、経塚として仏典を埋葬の際、一緒に埋められたものと考えられる。

 平成十六年(2004)十一月吉日
   北加瀬浅間神社 建立 二百周年記念
           神社責任役員一同
雑 記  新川崎駅から西ないし西南西へ0.6kmの所にある。加瀬山の中央あたりになる。

 向拝には安政三年春にかかれた扁額「熊野大神」は黒字に金文字で鮮やかなものだった。境内には日露戦役従軍者を称える大正四年に建てられた碑がある。 
 浅間神社社殿内には、神像がおかれてゐるのが見える。また、昭和四十七年十月一日付で板に墨書された由緒書がおかれてゐる。社殿外壁には、昭和四十七年の債権寄付者芳名が掲示されてゐて、発起人・責任役員、山崎・谷戸・原・西加瀬の町会長の名もある。

 加瀬山には失はれたものを含め11基の古墳が確認され、当社の境内社浅間神社は第6号墳の上に建ってゐる。
 また川崎市が昭和35年に建てた高さ17mの「慰霊塔」がある。明治以降の戦没者(当初3708柱)・戦災死者(当初356柱)の慰霊といふ。とは云へ、川崎市戦没者追悼式は川崎市総合福祉センターで行はれてゐる(H30年)。
 加瀬山は元はもっと大きく明治期の迅速測図をみても判る。低地の埋立て用に削られたといふ。現在、面積の多くは入場無料の動物園・公園になってゐる。また、南部では縄文から弥生にかけての貝塚が発見され土器も出土したといふが、貝塚は石灰原料としてか埋立て用土砂(東芝堀川町工場向け(2))としてか、採掘されたらしい。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
熊野神社、社頭
写真1

熊野神社
写真2

熊野神社、社殿
写真3

熊野神社、拝殿内
写真4  拝殿内

浅間神社、塚上にある社殿
写真5  境内社 浅間神社 平成25年奉納の朱の鳥居をくぐると塚の上に社殿が見える




浅間神社、社殿
写真6  浅間神社、社殿

浅間神社、社殿内
写真7  浅間神社、社殿内

浅間神社、寿福寺と刻まれてゐる石塔
写真8  文化年間の石塔、北加瀬村寿福寺、とある


出典・脚注
  1. 『新編武蔵風土記稿』 巻之六十五 北加瀬村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  2. H31.02.16閲覧 時空散歩 川崎 夢見ヶ崎散歩:鹿島田から夢見ヶ崎を歩く

改訂記録
  • 令和06.04.09 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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