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熊野神社(神奈川県川崎市高津区明津)

作成日 平成31年3月16日
よみ  くまのじんじゃ 地理院地図、東西 1.13km×南北 0.84km の範囲の地図です
(東西 1.13 km×南北 0.84 km)
参拝日  平成29年12月6日(水)
所在地  川崎市高津区明津(あくつ)142 (北緯35度34分3.47秒 東経139度38分10.87秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 熊野神社
祭神  伊邪那岐命 ( いざなぎのみこと )
 伊邪那美命 ( いざなみのみこと )
由緒    新編武蔵風土記稿には次のやうに載ってゐる(1)。( )内は、割注部分。
熊野三社 (村ノ中央ニアリ当社アルニヨリ此地ヲ呼テ熊野森ト云鎮座ノ年代詳ナラス社九尺ニ二間南向ナリ前ニ木ノ鳥居ヲタツ例祭年々九月二十七日村ノ鎮守ナリ村持)

 神奈川県神社誌には次のやうにある(2)
由緒沿革  当神社は、武蔵風土記稿の明津村の項に「熊野社、村の中央にあり、当社あるによりこの地を熊野森と云」と書かれ、明治末隣村の神社に合祀されたが、昭和初年村の共有地に社殿を建立、昭和四十六年宗教法人の神社となる。
雑記  東急東横線の元住吉駅から西へ1.7kmの所にある。

 村名について新編武蔵風土記稿(1)は、次のやうに記してゐる。
  「明津村(中略)文字モ悪津トカキシカ字ノヨカラサル故ニヤ近キ頃明ノ字ニカヘタリト云」

 合祀された、と神奈川県神社誌にあるが、合祀先は、子母口の橘樹神社のやうだ(3)
 手水鉢が置いてあり、それには「寛政十戌午年 貳月吉之日」と刻まれてゐる。他に境内社として良いのか定かではないが石碑(祠?)があり、一つは「諏訪大明神 安政四丁己年九月」、他の一つは倒れてゐて「第六天宮 明津村 願主 云々」と刻まれてゐる。 (寛政10年は西暦1798年。安政四年は西暦1858年、なほ、丁巳が正しい)
 合祀されてゐたときは、これらの石造物はだう扱はれてゐたのだらう。
 手水鉢の隣に土地寄付の碑がある。「記 此の土地は熊野神社の用地として秋元正男氏より参拾坪が寄贈されれたので此の碑を建立して永く印すものである 昭和六拾壱年貳月吉日 氏子中」と刻まれてゐる。

写真

社頭。鳥居は昭和六十一年二月奉納。社号標の背面には「昭和四十二年九月廿七日 矢上川改修 明津親睦會發會 記念」とある。

狛犬は昭和六十一年七月奉納、

社前から鳥居方を望む

脚注
  1. 『新編武蔵風土記稿』 巻之六十三 明津村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  2. 『神奈川県神社誌』 神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.127 熊野神社
  3. 平成31年3月8日閲覧 Wikipedia 明津


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