神社訪問記HP神奈川県川崎市

八太神社(神奈川県川崎市高津区蟹ヶ谷)

参拝日 平成29年12月6日(水)
作成日 平成31年3月23日(土)
追記日 令和6年4月9日(火)
よみ  やぶとじんじゃ  
所在地  川崎市高津区蟹ヶ谷285 (北緯35度33分58.19秒 東経139度37分56.45秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 八太神社
祭 神  天太玉命 ( あめのふとたまのみこと )
由 緒  新編武蔵風土記稿には次のやうに載ってゐる。( )内は割注部分。
八大権現社 (神明宮ノ辺ニテ丘ノ半ニアリ幣束ヲ神体トスコレモ村ノ鎮守ナリ社頭ニ老杉五六株アリ囲五尺六寸例祭ハ年々九月十六日コレモ専念寺持)

 神奈川県神社誌には次のやうに載ってゐる。
由緒沿革  当社は武蔵風土記の蟹ヶ谷村の項に「八太権現社、丘の半にあり、幣束を神体とす」と書かれ、明治末、隣村の神社に合祀されたが昭和初期、旧に戻し、昭和三八年社殿を改築した。

 境内の掲示には次のやうに記されてゐる。
八太神社
鎮座地 川崎市高津区蟹ヶ谷285番地
祭神  天太玉命(アメノフトダマノミコト)
元旦祭 一月一日
歳の神(どんと焼き)一月
節分祭 二月三日
例祭日 十月
当社の創立年代は不詳であり八太権現社として丘の半ばにあり幣束を神体とし、明治末隣村(子母口)神社に合併されたが昭和初頭に戻し八太神社と改称する。
雑 記  東急電鉄元住吉駅から西へ2.0kmの所にある。

 国土地理院の地図には神社記号はなかった。神社庁包括下の神社では珍らしい。

 拝殿内には、祭の写真他が数多く掲げられてゐた。

 向拝には「奉賛会会員募集について」など張紙が多い。拝殿内の札に「奉賛会発足 平成十二年四月」とあり、社号標の日付と同じだ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  社号標の背面には、「奉賛会設立発起人奉納者名」として十名の氏名と「平成十二年四月吉祥日」とある。


写真2




写真4


写真3  平らな土地が狭く、これ以上下がれなかった。


出典・脚注
  1. 『新編武蔵風土記稿』 巻之六三 蟹ヶ谷村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  2. 『神奈川県神社誌』 神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.127 八太神社

改訂記録
  • 令和06.04.09 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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