神社訪問記HP神奈川県川崎市

天満宮(神奈川県川崎市宮前区神木本町)

参拝日 平成30年1月16日(火)
作成日 平成31年4月20日(土)
追記日 令和6年4月8日(月)
よみ  てんまんぐう  
所在地  川崎市宮前区神木本町(しんぼくほんちょう)3-4-36 (北緯35度35分57.70秒 東経139度35分5.12秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 天満宮
祭 神  菅原道真 ( すがわらみちざね )
由 緒  境内にある掲示には、次のやうに記されてゐる。
 現在の神木本町は江戸時代には 向丘村字長尾で神木天満宮のある辺りは谷戸長尾と呼ばれていました。
 江戸時代後期にこの地に古くから祀られていた赤城神社が再建された時、等覚院の境内にあった天満宮が、末社として境内に祀られました。その後、明治になって赤城神社は長尾神社に合祀されましたが、境内社であった天満宮が合祀から漏れてしまいました。そのため谷戸長尾の人たちは独自に天満宮を祀り続け、戦後になって神木の鎮守となりました。社殿はそのとき再建されたものです。

 神奈川県神社誌には次のやうに載ってゐる(1)
由緒沿革  古来同所産土神たる赤城神社末社の小祠として地元町民の信仰を集めていたが、明治初年、赤城神社を近郷長尾神社に合祀して以来、当社のみ同所に残存、反ってその信仰を集め宗教法人令の実施に伴い町民130戸の総意によって社殿を再建、創設したものである。
雑 記  東急田園都市線梶が谷駅から西北西へ2.0kmの所にある。

 江戸時代には長尾村だった当地は、明治22年に平村、上作延村、菅尾村、下作延村の飛地が合併して向丘村が成立してゐる。昭和13年には川崎市に編入されてゐる。
 脇参道から入って、コンクリートで固められた様子をみての印象と、鳥居を備へた参道を登った際の印象は対照的だった。鳥居を備へた参道は狭い階段に、木造の鳥居で、社殿から見ると建物(集会所?)の陰になってゐて、時代の違ひを感じた。

 拝殿内には、「平成6年7月11日 神木天満宮 鎮座際」と文字入れされた写真が掲げられてゐる。
 また、昭和五十九年四月八日付で三峯神社宮司からの感謝状がある。感謝状の文面を読んだのは、帰宅して写真を拡大してゐるときだった。確かに、地図を見ると当社の近く(南へ50m)に三峯神社があるのは当時承知してゐて、道路の上から見ても木や竹があるだけで社は見えないのでそのまま、予定してゐた白幡八幡神社へ向ってゐた。今思へば、当社参道のあった道路が昔からあった道路で、そこまで戻って、その道路を歩けば見つけられたはずだった。当社との関係が判ったかも知れなかった。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2






写真3


写真4


写真5  脇参道


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』 神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.121-122 天満宮

改訂記録
  • 令和06.04.08 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

文頭へ移動  ホーム(神社訪問記)
inserted by FC2 system