よみ
| ごたんだじんじゃ
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(東西 1.13 km×南北 0.84 km)
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参拝日
| 平成30年1月16日(火)
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所在地
| 川崎市多摩区三田1-2-10 (北緯35度36分51.95秒 東経139度32分37.41秒)
地図:地理院地図
いつもNAVI
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HP等
| 神奈川県神社庁 神社詳細 五反田神社
Wikipedia:五反田神社
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祭神
| 素盞嗚尊 ( すさのおのみこと )
日本武尊 ( やまとたけるのみこと )
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由緒
| 境内にある掲示には次のやうに記されてゐる。
五反田神社史
一、創建 年代不詳
一、御祭神 素戔嗚命。 日本武命。
※ 当社神社は、口伝によると鎌倉時代の頃に創始されたと言われています。
旧時は、三王社と称し、明治になり八雲神社と改称されました。
御祭神素戔嗚命
一、大正四年十一月十日、大正天皇御即位記念碑を建立し、石坂を新設する。
一、大正十二年七月十五日、神社神輿壱基慎重。
※ 昭和二年小田急電鉄の開通により、東生田駅も設置され、以後地域は発展する。
一、昭和二十八年九月十五日、境内拡張工事着手する。
一、昭和三十二年一月二十六日、拝殿建設着手。
一、昭和三十二年十二月二十九日、御霊移し拝殿に鎮座する。
一、昭和三十四年十月九日、遷宮式を挙行。
※ 大作杉山神社より、日本武命を遷宮し素戔嗚命と合祀し、
宗教法人、五反田神社の誕生となりました。
一、昭和四十四年九月一日、五反田神社奉賛会を設立する。
初代 総代 関口 泰助(責任役員兼務)
初代 会長 森山 登
一、平成二年九月二日、神輿壱基奉納
一、平成十六年九月一日、
※ 五反田神社奉賛会の総意により、神社の社号標石碑建立を決め、地域の方々に趣旨を説明し、ご協力をお願いすることになる。
一、平成十七年七月三日、五反田神社社号標、石碑弐基建立。
一、平成十九年九月十日、神輿収納庫新築。
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註 東生田駅:現生田駅の旧称
神奈川県神社誌には次のやうに載ってゐる(1)。
由緒沿革 古伝には、鎌倉時代の創始と伝える。旧時は山王社と称したが、明治元年三月祭神を素戔嗚尊と改め社名を八雲神社と号した。昭和初年小田急線開通の際現在地に遷座、昭和三十二年十二月増改築して、同三十四年十月村内杉山社を合祀して五反田神社と改名し今日に及ぶ。此の地の鎮守とする。
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新編武蔵風土記稿には次のやうに載ってゐる(2)。( )内は割注部分。
山王社 (村ノ南字長沢谷ニアリ小社ニシテ覆屋アリ社前ヲ距ルコト一町余ニシテ鳥居ヲ立祭礼年々八月二十日神酒ヲ供ス広福寺持当社勧請ノ年代ハ詳ナラサレトモ古キ社ナルヘシ相伝フ古ハ上下菅生及五段田村等ノ総鎮守ナリシカ昔年祭礼ノ日百姓等争闘ノコト公訴セシカハ是カタメニ郷村ノ困窮大方ナラスコレヨリムラムラ思ヒ思ヒ二ワカレテ別ニ鎮守ヲサタメシ二ヨリ自ラ此社ハ衰微ニ及へリコノ辺ハ五段田入会ノ地ナレハ今ニ社修造ノトキハ五段田ニテ修造セリト云)
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雑記
| 小田急線生田駅から西南西へ100mの所にある。
風土記稿には上菅生村の条にあるものの、五反田村の入会地でもあったとしてゐる。現在地に遷座してゐるので当地はどちらに属してゐたのか、よくわからない。
また、旧地の位置は判らないが、「長沢谷ニアリ」と云ふから現在の台地上では無かつたと思はれる。小田急線電車内から見上げると、「五反田神社」と云ふ表示(看板)が見える。
なお、明治八年に五反田村と上菅生村は合併し生田村(両村の生と田をとったもの)となり、明治22年には他三村と合併して(村名は同じ)、昭和13年に川崎市に編入され、川崎市の一部となった。
例大祭は九月第二土日曜日。杉山社を合祀してから例大祭を行ふやうになったらしい。
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