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瘡守神社(神奈川県川崎市麻生区上麻生)

参拝日 平成30年10月8日(月)
作成日 令和2年1月4日(土)
追記日 令和6年3月30日(土)
よみ  かさもり じんじゃ  
所在地  川崎市麻生区(あさおく)上麻生5-46-22 (北緯35度35分13.13秒 東経139度30分2.42秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西290km×南北270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  ─
祭 神  稲荷神
由 緒  境内には、由緒の掲示等は無かった。
 ネット検索で、戦国時代に当地に移り住んだ鈴木氏が建立した神社、と云ふ記述があった。
雑 記  小田急線柿生駅から南東へ0.4kmの所にある。

 鳥居の扁額には、写真のやうに瘡守稲荷、鈴木稲荷の二様がある。屋内には「稲荷社寄付者芳名」「奉納 瘡守正一位 稲荷神社」といふ表記があるし、御本殿は二つあることから二社あるのかと思ってしまふ。屋内の向って右側の「稲荷社寄付者芳名」にある芳名には鈴木姓が殆どだった。

 鳥居前の北西から南東に通る路には、かつて柿生隧道があった。「昭和26年に川崎市域として初めてのトンネルが開通した。このトンネルによって、附近の人々が柿生駅に出るのに便利となった。」昭和51年から切通しにする工事が行はれ、昭和53年に開通したと云ふ。教へられ無ければ全く思ひもよらなかった。
 柿生駅の開業は、昭和2年だから隧道が出来るまでは丘を越えた向かうの谷戸(王禅寺)から「下駄切り坂」と呼ばれる急坂を歩いて来たのだらう。王禅寺からみて南東に5km程の所を田園都市線が開通したのは昭和42年、柿生駅の隣の新百合ヶ丘駅は昭和49年開業。そんな訳で、鉄道利用には柿生駅に出るしか無かったから、隧道を造って人や車両が通れるやうにした(多分距離は1/3に短縮)けれど、時を経て車が普及したなか、隧道は車が行違へるだけの巾が無く、拡幅が必要となったのだらう。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  参道入口


写真2  階段と三の鳥居


写真3  社殿(覆屋)と鳥居


写真4  覆屋内の御本殿。


鳥居の扁額。左から、写真5:一の鳥居、写真6:二の鳥居


写真7 四の鳥居の扁額


出典・脚注
  1.  ─

改訂記録
  • 令和06.03.30 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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