神社訪問記ホーム(都道府県の選択)神奈川県の神社にもどる

月読神社(神奈川県川崎市麻生区上麻生)

作成日 令和2年1月4日
よみ  つきよみ じんじゃ 地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km×南北270km
・当社は + の位置
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km×南北 0.94 km、
・本殿の位置に 印 を記入
参拝日  平成30年10月8日(月)
所在地 川崎市麻生(あさお)区上麻生7-38-4 (北緯35度34分49.97秒 東経139度30分17.87秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 月読神社
祭神  月読尊 ( つくよみのみこと )
 伊弉諾尊 ( いざなぎのみこと )
 伊弉冉尊 ( いざなみのみこと )
 大日孁尊 ( おおひるめのみこと )
 白山姫尊 ( しらやまひめのみこと )
由 緒  元 村社
 新編武蔵風土記稿には次のやうに載ってゐる(1)。( )内は、割注部分。
上麻生村
熊野社 (除地二段村ノ中央ニアリ本社ハ二間ニ一間半拝殿三間ニ三間半イツレモ南ニ向フ前ニ鳥居ヲ立例祭九月二十一日村民ノ持) 末社瘡守鷺明神合殿(本社ニ向テ左ニアリ)
月読社 (除地一段村ノ東ニアリ三間四方神体ハ坐像ニテ長一尺ハカリ当村ナラヒニ下麻生村ノ鎮守ニシテ例祭ハ年々九月二十九日村民ノ持ナリ) 末社稲荷社(本社ニ向テ左ニアリ) 八幡社(此社ハ右ニアリ)

白山社 (年貢地字山口ニアリ南向ナリ村民ノ持)
下麻生村
山王社 (除地五坪村ノ中央ニアリ村民ノ持ナリ)

 神奈川県神社誌には次のやうにある(2)。主に「国・読」は正字(國・讀)が使はれてゐるが総て当用の字体に置換えた。
由緒沿革 天文三年(1534)九月二十九日皇太神宮の別宮を亀井城の卯の方に創立した。宝永五年九月二十九日、天保六年十一月七日、領主三井主税、安藤織部両人の援助により再建した。大正七年七月十一日、上麻生の熊野神社、下麻生の日枝社、山口谷の白山社を合祀し、大正七年九月十七日供進村社に指定された。昭和四十九年九月二十九日鉄筋コンクリート造りの流麗な社殿を新築した。

 境内にある掲示には次のやうにある。
月読神社由緒
鎮座地 川崎市多摩区 上麻生170番地 下麻生760番地
祭神  月夜見尊
    日本国の天照大神と共に夜の国をしろしめし給う
配祀神 伊弉諾尊 伊弉冉尊 大日霊貴尊 白山姫命 猿田彦命

当社は約四百五十年前武蔵国都筑郡麻生郷の領主小島佐渡守が打続く応仁戦乱の苦悩にあれど領民のため天下泰平五穀豊穣を祈願して伊勢皇大神宮別宮月読宮の分霊を勧請、天文三年九月廿九日亀井城の卯の方に社殿を建立し一尺一寸八分の尊像を奉安したのが創始である。
 宝永五年の富士山噴火、又天保三年の大飢饉等に際し上麻生三井・下麻生安藤の両領主を始め領民挙げての発願により、しばしば社殿を修復領内安穏子孫繁栄の祈祷を行った。
 明治四十三年四月内務省神社局は神社の合併を奨めたので、大正五年七月十一日上麻生熊野神社・白山社、下麻生日枝神社を合祀、同時に指定村社 麻生神社となったが昭和八年二月月読神社の社号は全国にも極めて稀なところから再び元の月読神社を称えることになった。
 その後第二次世界大戦等幾多世情の変転を経て社殿の荒廃が甚だしくなったため、復興の議が高まり、昭和四十後半年以来四百五十戸の氏子及び 崇敬者等相謀り、総工費金四阡五百万円也を以て、同四十九年九月廿九日鉄筋コンクリート神明造の新社殿が落成遷宮、引続き玉垣社務所等五十一年三月総工事を竣成したのである。

  祝祭事
一、元旦祭    一月一日
一、合祀記念祭  七月十一日
一、例大祭    九月廿九日
一、七五三祝  十一月十五日 
昭和五十三年九月廿九日建之
雑 記  小田急線柿生駅から南東へ1.1kmの所にある。

 社殿の南には200mの長い参道がある、階段があり、なかなかの登り道なのを実感した。
 台風24号による記録的強風が9月30日深夜から翌未明に、6日午後から7日午前にかけては台風25号が日本海を通過し強風が吹いた。旧祠を納めてゐる覆屋の正面には、細かな緑や茶色のちぎれた葉がびっしりと付着してゐる。相当な強風が吹いたやうだ。

 社名は、神社詳細に記されてゐるのは「つよみ」、神奈川県神社誌には「つよみ」と振仮名がついてゐる。

 上麻生村は明治22年に上麻生村、下麻生村、早野村、古沢村、王禅寺村、万福寺村、片平村、五力田村、栗木村、黒川村が合併して柿生村となり、岡上村を加えた柿生村外一ヶ村組合は昭和14年に川崎市に編入され、昭和47年に政令指定都市指定の際に多摩区となり、昭和57年に旧村域が分区して麻生(あさお)区となってゐる。(3)

写 真

社号標は「昭和十一年十月吉日」



境内社覆屋 向って左:日枝社古祠、右:熊野社古祠

境内社 日枝社古祠(元 下麻生682 所在)

境内社 熊野社古祠(元 上麻生1064 所在)

出典・脚注
  1. 『新編武蔵風土記稿』 巻之八十六 上麻生村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  2. 『『神奈川県神社誌』 神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.132 月読神社
  3. 令和2年1月2日閲覧 wikipedia 柿生村


inserted by FC2 system