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武州柿生琴平神社(神奈川県川崎市麻生区王禅寺)

作成日 令和2年1月11日
よみ  ことひら じんじゃ / ぶしゅう かきお ことひら じんじゃ 地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km×南北55km
・当社は + の位置
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km×南北 0.94 km、
・本殿の位置に 印 を記入
参拝日  平成30年10月8日(月)
所在地 川崎市麻生区王禅寺318  (35度34分55.15秒 139度31分4.52秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 琴平神社  Wikipedia:琴平神社 (川崎市)  当社HP
祭神  天照大神 ( あまてらすおおみかみ )
 大物主神 ( おおものぬしのかみ )
由 緒  新編武蔵風土記稿には次のやうに載ってゐる(1)。 ( )内は割注部分。
神明社 (除地四畝十歩村ノ東ニアリ小祠ナリ東向マヘニ小ナル鳥居ヲタツ村持)

 境内にある掲示には次のやうにある。 
武州柿生 琴平神社縁起
 当神社に代々伝わる古文書によると正徳元年(1711年)以前に伊勢山の地に神明社があった事が記されています。その文によると「崇源院様(徳川二代将軍秀忠の正室)ご繁栄の砌、祈祷所トシテ当村鎮守大神宮を勧請致しこれまで年々伊勢踊り神事祭礼湯立神楽等仕え来たり当村の鎮守に御座候」と記されておりその後(文政九年1826年)伊勢山の地に当村名主志村文之丞によって四国金刀比羅宮の祭神をこの地に勧請し神明社琴平社の合社が再建されたこれが琴平神社の起りです
昭和五十五年氏子崇敬者による金刀比羅大神の崇敬の思潮が強く打ち出され社名を琴平神社と改称されました。祭神は大物主命(別名を大国主命とも称す。)であるが神明社と琴平社の合社相殿のお宮であったため右側に天照皇大御神を左側に琴平大神をお祀り申し上げ神座は別々の神座となったものであります。社殿には僧上坊と鴉天狗の石像が安置されておりこれは神仏混淆の影響を受けたものです。本殿の境内の手水鉢を担った山伏姿の石像は「がまんさん」と呼ばれ地域の人々の信仰をあつめています。又、渡辺崋山筆と伝えられる六十三枚の花鳥山水を描いた神殿の天井画は現在後世に残すため写真を元に復元中であります
 当社HPによると、平成19年に放火により社殿は焼失し、天井画も失われた。その後、再建され平成23年六月に本殿遷座祭・本殿竣工奉告祭を斎行された。

 境内社の社前には由緒碑等があり、次のやうに記されてゐる。 
琴平銭洗弁財天由緒
志村家古文書に拠ると
「是は当村弁天巳待講中之有、講毎に江之嶋百味代参金積立の代参以来同所(王禅寺)蓮沢(嶋形)に之を築き石宮建立す(講中)」とある。 弁財天石宮が造営されましたのは文化元年(1803)頃と推察されます。此処でお金を洗うと財が殖えると言われています。
又弁財天神は才智芸能の女神として有名でございます。
福寿稲荷大明神
 (稲荷大明神)
 創設 文政七年(1824)
 御神徳 五穀豊穣・子孫繁栄

多賀大明神
 (伊邪那岐命、伊邪那美命)
 創設 弘化三年(1846)
 御神徳 健康長寿・産業繁栄

塩釜大明神
 (塩土老翁神)
 創設 弘化三年(1846)
 御神徳 航海安全・初厄消除
雑 記  小田急線柿生駅から東南東へ2.0kmの所にある。

 由緒に「伊勢山の地に」云々とあり、伊勢山皇大神宮と関係あるのかと思ったものの、神明社の鎮座してゐる現在地を「伊勢山」と云ふやうだ。
 本殿拝殿から道路を隔てた所に参集殿・儀式殿、境内社がある(地理院地図の本殿から南西側にある神社記号の所、王禅寺東5丁目46)。

 参考 当社HPには、旧社殿の写真が掲載されてゐる。又、岡田綱一氏のサイト 川崎市麻生区・神社聖地情報内の琴平神社には、平成18年晩秋の写真が、より大きく、数も多く掲載されてゐる。

写 真

社頭、階段の上り下りは要注意

参道の階段を上り終ったところから社殿を望む

拝殿

お祭りで賑はってゐる、隣の丘上(金子稲荷社辺り)から

王禅寺東5丁目の社地、境内社・参集殿・儀式殿等がある

境内社 銭洗弁天社

境内社 福寿稲荷社


出典・脚注
  1. 『新編武蔵風土記稿』 巻之八十六 王禅寺村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)


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