神社訪問記HP神奈川県 > 川崎市

十二神社(神奈川県川崎市麻生区万福寺)

参拝日 平成30年10月8日(月)
作成日 令和2年1月11日(土)
追記日 令和6年3月29日(金)
よみ  じゅうに じんじゃ  
所在地  川崎市麻生区万福寺3-2-3 (35度36分21.47秒 139度30分27.68秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 十二神社
 (参考 新百合山手街管理組合のwebサイトに由緒と沿革が記述されてゐる(1))
祭 神  宇気母智大神 ( うけもちのおおかみ )
由 緒  元 村社

 新編武蔵風土記稿には次のやうに載ってゐる(2)。( )内は割注部分。
十二所社 (除地二段村内医王寺ノ東丘上ニアリ飯縄稲荷ヲ合殿トス覆屋二間ニ二間半ニシテ坤ノ方ニ向フ前ニ鳥居ヲ立村民ノ持ナリ例祭ハ年々九月十二日ナリ)

 神奈川県神社誌には次のやうに載ってゐる(3)
由緒沿革  正徳元年(1711)十一月一日の創立である。嘉永四年九月十三日再建、大正五年十月八日社殿を改修し、大正十一年八月二十九日供進神社に指定された。

 境内にある「十二神社建設の碑」によると、「万福寺地区の街づくりに合わせて社殿を再建することが正式に決定され」「平成十七年五月に新社殿が落成」したといふ。 
雑 記  小田急線新百合ヶ丘駅から北へ0.2kmの所にある。

 街づくりとあるのは森と農地を住宅に変へたといふこと。小田急線には時々乗ってゐて、車窓から見てゐると、いつの間にか木が切られ、重機で土が削られ、所謂マンションが建並んでいった。昭和49年に新百合ヶ丘駅を開業してゐるが、そのときには駅近くの所を宅地なり商業施設なりを造る考へが無い訳が無い。新駅の主目的は、新線の分岐駅で、現在は優等列車も停車する重要駅となってゐる。

 十二神社と云へば、熊野三山の神々とも考えられるが、祀ってゐる人達によると「神社本庁に『宇気母智大神』と登録されてゐる。(中略) 十二柱は天神七代と地神五代からなり」(十二神社建設の碑より)と、宇気母智大神にはやや疑問を投げかけてゐるものの、熊野とは関係無い模様。
 なほ、み熊野ねっとでは「神社の下にあった旧家が、正徳元年(1711)に氏神として出身地の神を勧請したものが始まりという。この旧家は熊野が出身地とされ、熊野社を勧請したものと見られる。その後土地に住む人々の守護神となった。」と記してゐる(4)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真4


写真5


出典・脚注
  1. 令和2年1月5日閲覧 新百合山手街管理組合HP内 ふるさとのあゆみ 十二神社・由緒と沿革
  2. 『新編武蔵風土記稿』 巻之八十六 万福寺村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  3. 『『神奈川県神社誌』 神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.134 十二神社
  4. 令和2年1月5日閲覧 み熊野ねっと全国熊野神社参詣記万福寺十二神社  

改訂記録
  • 令和06.03.29 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

文頭へ移動  ホーム(神社訪問記)


inserted by FC2 system