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八雲神社(神奈川県川崎市多摩区菅)

参拝日 平成30年10月17日(水)
作成日 令和2年1月18日(土)
追記日 令和6年3月29日(金)
よみ  やぐも じんじゃ  
所在地  川崎市多摩区菅2-18-15 (35度37分58.29秒 139度31分38.92秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 八雲社
祭 神  素盞嗚尊 ( すさのおのみこと )
 奇稲田姫命 ( くしいなだひめのみこと )
 倉稲魂命 ( うかのみたまのみこと )
由 緒  社頭の掲示には次のやうにある。
八雲神社
一、祭神 素戔嗚尊
     奇稲田姫命
     倉稲魂命
一、由緒 当社は鎌倉時代の創始と云ふ 旧時は天王社と唱え祇園午頭天王を祭り仙石山寿福寺の末寺小谷山福泉寺(応永年間創立)の境内に在り福泉寺廃寺後は神社として独立して西菅部落の崇敬を受け明治元年十月十八日神仏分離令により祭神を素戔嗚尊と定め八雲神社と称し菅村上下の崇敬を受け今日に至り現在菅氏子会の所管となる。
一、当社祭式
 一月十五日 新年祭並びどんと祭
 七月十八日 大祭
菅氏子会

 神奈川県神社誌には次のやうに載ってゐる(1)
由緒沿革 江戸初期、悪疫が天下に流行した為に、祇園の牛頭天王を奉斎したのが、鎮座の始まりと云う。
 
雑 記  京王電鉄相模原線の京王稲田堤駅から西へ0.4km、南武線稲田堤駅からは西へ0.8kmの所にある。

 拝殿内をみると、写真が掲げられてをり、そのうちの一つは「奉納 稲田町女子青年會菅支部 事業記念 昭和八年六月一日」とある。かなり傷んでゐるのは残念だが、写真を撮ること自体日常では無かった頃の集合写真、貴重品だ。

 当地は、江戸末期には菅村で、明治22年に菅村、登戸村、中野島村、宿河原村、堰村が合併して稲田村となり、昭和7年に町制施行、昭和13年には川崎市に編入された。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  鳥居には「昭和二年五月建之」とある


写真2


写真3  嗽盤は「慶應元年六月 上菅村中」とある


写真4

出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』 神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.129 八雲社

改訂記録
  • 令和06.03.29 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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