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作成日 令和2年1月18日 |
よみ | ねのじんじゃ |
・東西59km×南北55km ・当社は + の位置 |
・東西 1.13 km×南北 0.94 km、 ・本殿の位置に ○印 を記入 | ||||||||||||||||
| 川崎市多摩区菅北浦5-4-1 (35度37分39.18秒 139度32分2.07秒)
| 地図:地理院地図 いつもNAVI HP等
| 神奈川県神社庁 神社詳細 子之神社
| 祭神
| 大国主命 ( おおくにぬしのみこと )
| 元 村社
新編武蔵風土記稿には次のやうに載ってゐる(1)。( )内は割注部分。
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神奈川県神社誌には次のやうに載ってゐる(2)。
境内の掲示には、主に風土記稿の内容に沿ったもので、追加されてゐる部分のみ記すと次のやう。
雑 記
| 南武線稲田堤駅から南乃至南南西へ0.6kmの所にある。
| 本殿について、川崎市によると、江戸時代末期の製作とみられ、四面が白木の彫刻で埋め尽されてゐる、平成8年に川崎市重要歴史記念物に指定されている、といふ(3)。 社殿に向って左奥には砲弾が奉納されてゐる。砲弾には「横須賀重砲兵聯隊除隊記念」と個人名刻まれてゐる。また、近くに、明治三十九年十月建之とある古い一対の狛犬が置かれてゐる。昭和53年奉納の狛犬にその任を譲ったのだらうか。 「御社殿改修境内整備記念」碑(平成十三年三月)によると、住宅都市整備公団の宅地造成事業により分離された社地を昭和61年に売却し、その売上金を工事費用に充て御社殿改修工事、鳥居笠木の改造・移動、火災警報設備、境内斜面の擁壁、女坂整備工事等、を行ったといふ。 この文章を書きながら、地図を見て当社南側に池があるので、古くからのものだらうかと調べてみた。そしたら、調整池で普段は水が無いのが判った。昭和47年度から60年度に84ヘクタールの区画整理事業(要は宅地化)が行はれ、この事業に伴って菅北浦調整池(8万8400m3)が造られたといふ。二ヶ領用水を補完するために造られたのが残ってゐるのかと想像してしまった。 因みに、84ヘクタールの土地に降った雨が総て調整池に溜るとしたならどれだけの降雨量を貯められるか計算したら105mmとなった。森林の雨水保水量は降雨100〜200mm相当(森林の状態、土壌、降雨量等により異なる)と云はれるので、それほど違はない結果となった。調整池から下流側で何等かの対策があったのかは判らない。 |
写 真 | |
社頭 | 鳥居をくぐって階段を上ってくると右手に社殿がある。 灯籠は平成15年奉納。 階段を上ったところには昭和五十三年一月九日と刻まれた狛犬がある。 写真右端の碑は「御社殿改修境内整備記念」碑 |
彫刻の拡大(297kB)。丸太と見える樹が立ってゐるが、昭和五十二年に枯死寸前だった老椎木で消滅を惜しみ神霊として置いてゐるといふ(掲示より) | |
出典・脚注
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