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杉山社 (神奈川県川崎市多摩区西生田)

参拝日 令和2年3月20日(金)
作成日 令和2年12月6日(日)
改訂日 令和6年3月13日(水)
 
よみ  すぎやましゃ  
所在地  川崎市多摩区西生田3-3-2 (35度36分48.37秒 139度31分50.25秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 杉山社
祭神  日本武尊 ( やまとたけるのみこと )
由緒  境内の掲示には次の様にある。
杉山神社 由緒
沿革  鶴見川沿いとその周辺のみに多く分布する杉山神社は遠く天太命(アメノフトダマノミコト)を祖とする古代の名族忌部(インベ)氏の阿波の一族が房総に移住して安房神社を祀り、さらに白鳳三年(六七四年)都築の丘に創始した杉山神社が祖とされる。その後都筑郡唯一の式内社とされ、その霊験をもって当時の主に都筑郡と橘樹群に多数勧請された。
 当杉山社はそのうちの一社とされ、創建の時期は不明であるが、江戸時代に編纂された新編武蔵風土記稿によれば、「当社勧請の年代を詳にせず、古棟札に慶長十八年(一六一三年)卯月一日領主本田佐渡守再造のよしをしるしたれば、これより先に勧請せしことしるべし」とあるので、江戸時代より以前に勧請されたことがわかる。
 郷土の伝承では、八幡太郎義家(一〇三九〜一一〇六)が奥州征伐のため、この土地を通過する際、神託により当社を建てたという。その後、鎌倉時代 枡形山城主 稲毛三郎重成(?〜一二〇五)が厚く崇敬したとのことである。
鎮座地 川崎市多摩区西生田三丁目三番二号
御祭神 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
例祭日 元旦祭一月一日・祈年祭 一月二十日
例大祭 九月二十日前後の祝祭日
社殿 旧本殿は、昭和四十二年二月九日早暁失火により灰燼に帰したが、同四十三年に再建された。(建物面積五十二平方メートル)
境内 四三〇〇平方メートル
境内社 鹿島社 宝暦十二年(一七六二年)創祀
御祭神は健甕槌神(タケミカヅチノカミ)
奉斎地区 多摩区西生田及び南生田の一部
宗教法人 杉山社

 神奈川県神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創建年代は不明であるが、現在杉山社の御神体とされている御神剣に「慶長十八年四月一日願主本多佐渡守が両代官、小林九良左ェ門、岡本八郎右エ門をして之を再建せしむ」と刻してある。
  同書の別項には「境内坪数 八八三坪」とある。m2にすると2900となる。(境内の掲示は四三〇〇なので増えてゐる)

 新編武蔵風土記稿の五段田村の条には次の様に載つてゐる(2)
杉山社 (村ノ西丘ノ上ニアリ村ノ鎮守ニテ観音寺ノ持ナリ勘定ノ年代ヲツタ伝ヘズ本地不動ノ木造ヲ神体トス立身ニシテ長二尺五寸余本社ハ一間四方ニテ宮作ナリ覆屋三間四方東ニ向フソレヨリ十歩ハカリヲヘタテゝ鳥居ヲタツソレヨリ日田ノ方一町ハカリニシテ西ヘヲレテ石階七十余級アリ祭礼ハ年々九月二十日当社勧請ノ年代ヲ詳ニセス古棟札ニ慶長十八年卯月一日領主本田佐渡守再造ノヨシヲシルシタレハソレヨリサキニ勧請セシコトシルヘシ其後慶安ニ年ノ棟札ニハ領主市岡太左衛門本田四郎兵衛トアリ又寛文九年ノ棟札ニ市岡五左衛門本田善之助トアリ天和四年ノニハ市岡五左衛門一人ヲシルセリ)
 末社鹿島社 (本社ニ向テ右ニアル小祠ナリ石ニテ作ル)
雑記  小田急線読売ランド駅から東南東へ0.2kmの所にある。

補遺 写真説明に無い建造物など
・狛犬台石にはめ込みの石版 「社殿再建記念 奉納 石段幟枠 狛犬敷石 昭和四十三年十一月吉日 氏子中」


写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

階段を登り、ゆるい登り道部分を50m程進む。コンクリートで舗装され電気配線してある灯籠が建てられゐる。「杉山社参道整備舗装事業」の碑があり、令和元年十二月吉日とある。

写真2 境内
写真2 拡大 (1280×960)

境内

階段を登り平坦部を歩いて行くと、左手に日露戦役紀念碑、右手に鳥居と東向きの社殿が見えてくる。
灯籠は、昭和三十五年九月吉日建之、願主左官業遠藤栄吉 妻みね。
手水鉢は、昭和四十三年十一月吉日と年記がある。

写真3 社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面
狛犬は、大作連寄附、明治三十二年十月造之。

写真4 社殿側面
写真4 拡大 (1280×960)

社殿側面

写真5 境内社 鹿島社
写真5 拡大 (1280×960)

境内社 鹿島社 祠部分の拡大(1280×960)

左の塔には「奉宮○ 杉山明神 市岡後五左衛門尉○」、側面には「貞享貳年○○九月吉日」とある。
鹿島社石祠側面には、「昭和五十年九月二十日再建 氏子中」とある。
鳥居柱には「昭和五十年九月 建之」とある。
玉垣の一部分に石板がはめ込まれてゐて、奉納者名が大作地区・栗谷地区に別けて刻まれてゐる。

写真6 日露戦役紀念碑
写真6 拡大 (1280×960)

日露戦役紀念碑 (本社の参道から撮影。鳥居と灯籠は本社のもの)

素堂窪全亮書、とある。背面には日清戦役従軍者四名、日露戦役従軍者十六名の氏名が刻まれてゐる。両戦役に従軍された方が一名がゐらっしゃる。「大作・栗谷・五反田 有志者 明治三拾九年四月建之」


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社庁誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.128
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之六十 五段田村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)

改訂記録
  • 令和06.03.13 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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