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九郎明神社 (神奈川県川崎市麻生区古沢)

参拝日 令和2年5月31日(日)
作成日 令和2年12月26日(土)
改訂日 令和6年3月12日(火)
 
よみ  くろうみょうじんしゃ  
所在地  川崎市麻生区古沢497 (35度36分12.20秒 139度29分38.01秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 九郎明神社
祭神  由緒欄参照
 神奈川県神社庁webには、伊弉那岐命・菅原道真の二柱としてゐる。
由緒  境内の掲示には次の様に記されてゐる。
九郎明神社
所在地 川崎市麻生区古沢四九七
祭神 源九郎判官義経
伊弉那岐命
菅原道真
宇迦之御魂(稲荷)
例祭日 九月祝日(敬老の日)
創建 不詳
由緒沿革 平安末期 清和源氏義朝の三男源頼朝が敷いた駿河の黄瀬川陣に異母弟の源義経が奥州から駆けつける途中当地古沢で一夜を過す 村人から歓待を受けた義経は 謝意を表わすため小刀(併せて鉄扇)を贈ったという(治承四年・一一八〇年)
文治五年(一一八九年)に奥州衣川の館で自害したとされる源九郎義経を建長年間(一二四九〜一二五六)この社に祭祀
天明年間(一七八一〜)再建
天保年間(一八三一〜)当地が旗本領であったためか久能社と称せられたこともあった
明治十九年 村内にあった稲荷社を合祀
大正十一年 村内にあった天神社・熊野社を合祀
村人からは「明神様」として崇敬される
昭和三十三年社殿改築
平成十年社殿一部改築
平成十九年社務所創建

 神奈川県神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 創立の年代は不詳であるが、武蔵風土記稿に村内福正寺持で久能社とある。

 新編武蔵風土記稿には次の様にある(2)。 ( )内は割注部分。
久能社 (除地一畝村ノ西ニヨリテアリ六町ハカリニシテ覆屋九尺四方東向ナリ祭神詳ナラス村内福正寺持以下二社モ同寺ノ持ナリ)
天神社 (除地一畝村ノ中央ニアリ坤ノ方ニ向テタテリ)
熊野社 (除地一畝村ノ中央ニアリコレモ坤ノ方ニ向フ)
雑記  小田急電鉄多摩線の五月台駅から北へ0.3kmの所にある。

 当地は明治初期は古沢村で、明治22年に上麻生村、下麻生村、早野村、王禅寺村、万福寺村、片平村、五力田村、栗木村、黒川村が合併して柿生村となり、昭和14年に川崎市に編入された。昭和47年に多摩区となり、昭和57年に分区して麻生区の一部となった。(3)
 明治期迅速地図には、稲荷社と記されてゐる。

 久しぶりの神社巡りだった。3月20日に三社を巡ってからは、4月7日に武漢肺炎(新型コロナウィルス感染)防止のための緊急事態宣言がだされて5月25日に解除されるまで外出は限られてゐた。筋力が落ちて、どれだけ歩けるか不安があったが、13000歩余を歩いて五社を巡ってきた。予想外のことだったが、四社の御朱印を頂けた。本日は二社の掲載。


写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

建物は社務所

写真2 鳥居
写真2 拡大 (1280×960)

鳥居

向って右側に手水鉢がある。明治廿七年の年記がある。
灯籠には、昭和三十三年四月の年記がある。

写真3 社殿(正面)
写真3 拡大 (1280×960)

社殿(正面)

写真4 社殿(斜め前から)
写真4 拡大 (1280×960)

社殿(斜め前から)

写真5 御本殿
写真5 拡大 (960×1280)

御本殿

写真6 境内社
写真6 拡大 (960×960)

境内社

狛犬(狐)には、明治十九年年九月建之、古澤村中、と刻まれてゐる

御朱印
御朱印 拡大 (470×640)

栗木御嶽神社で頂いた。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社庁誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.134
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之八十六 古澤村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)
  3. 令和2年12月21日閲覧 Wikipedia 柿生村

改訂記録
  • 令和06.03.12 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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