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白鳥神社 (神奈川県川崎市麻生区白鳥)

参拝日 令和2年5月31日(日)
作成日 令和3年1月4日(月)
改訂日 令和6年3月12日(火)
 
よみ  しらとりじんじゃ  
所在地  川崎市麻生(あさお)区白鳥2-10-1 (35度36分10.29秒 139度29分3.69秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 白鳥神社
祭神  日本武尊 ( やまとたけるのみこと )
 木花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと )
由緒  元 村社

 向拝に掲げられてゐる由緒書には次の様に記されてゐる。
白鳥神社由緒
鎮座地 川崎市麻生区白鳥2-10-1
(旧)武州都筑郡片平邑字吾妻970
御祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
併祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、天照大神(大日孁貴命)(あまてらすおおかみ・おおひるめむちのみこと)、木花開咲耶媛命(このはなさくやひめのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、宇気母智命(うけもちのみこと)、宇賀魂命(うがのみたまのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)、建御名方命(たけみなかたのみこと)、菅原道真(すがわらみちざね)
由緒沿革 日本武尊は、景行天皇(90年〜)の御子で御東征の帰路、弟橘比賣命を、お偲びになられ、「吾妻はや」と言われた事に因み当神社の鎮座地を吾妻といった 白鳥神社の社名は日本武尊の魂が大白鳥となって天翔けたという故事に依る。現在の白鳥の地名は、当白鳥神社から名づけられている。当神社は創立年代不詳。正徳四年(甲午1714年)九月吉辰、小机郷片平邑総鎮守白鳥大明神拝殿腐朽したので五力田邑の功力を加えて再建され、片平村、五力田村の鎮守であった、天保十年(1839年)九月吉日、法橋佐脇主馬の銘がある御神像(宝物)が奉安された。慶応元年(1865年)十一月社殿建替、明治四十四年一月三十一日片平村の熊野神社・山王社。天神社等六社を併合合祀翌年五月十七日五力田村の六所明神・諏訪社を合併合祀した。大正四年九月二十一日供進の村社に指定された。 昭和二年二月本殿及び覆殿を立替。昭和四十四年九月二十六日拝殿を亜鉛葺きとするんど修復しながら、地域の氏神様として人々の心豊かな生活の守神として崇敬されてきています。
祝祭日 一、元旦祭  一月
一、例大祭  九月
一、七五三祭 十一月
五霊現 開運招福・誓願成就・五穀豊穣・家内安全・交通安全・商売繁盛
  平成六年九月吉日  中山○○作
  五力田:ごりきだ

 神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)
創立の年代不詳、天保十年九月神像造立し奉った。慶応元年十一月建替し、明治四十四年一月三十一日浅間社外六社を合併、明治四十五年五月十七日五カ田の六所明神外一社を合併し、大正四年九月二十一日供進の村社に指定された。昭和四十四年九月二十六日拝殿を亜鉛葺に葺替えた。

 新編武蔵風土記稿には次の様に載ってゐる(2)。( )内は割注部分。白鳥明神以外は、上記の由緒沿革や祭神名から合祀された神社と思はれる。
(片平村)
白鳥明神社 (除地一段三畝村ノ北ノ方丘上ニアリ社ハ三間ニ四間南向ナリ社前ニ鳥居ヲ立例祭ハ九月二十六日善正寺持ナリ慶長年中ノ棟札ヲ納神体ハ愛染ノ像ヲ鉄ニテ鋳シ物ナリ)
太神宮社 (除地六坪許村ノ中央ニアリ南向ナリ善正寺持)
熊野社 (除地八畝許村ノ巽ノ方ニヨレリ西向ニテ万福寺村医王寺ノ持)
天神社 (除地六坪村ノ東ニアリテ祠ハ西向ナリ善正寺持)
(伍力田村)
六所社 (除地二段歩小名六所谷ノ丘上ニアリ村民ノ持ナリ)
諏訪社 (除地二段歩小名諏訪谷ニアリコレモ村民ノ持)
雑記  小田急電鉄多摩線栗平駅から南東へ0.4kmの所にある。

 片平村は、明治22年に上麻生村、下麻生村、早野村、王禅寺村、古沢村、万福寺村、五力田村、栗木村、黒川村と合併して柿生村となり、柿生村は昭和14年に川崎市に編入され、昭和47年に政令指定都市に指定された際に多摩区となり、昭和57年に麻生区として分区された。 明治期迅速地図には白鳥社とある。
 神奈川県神社誌には、「鎮座地 多摩区片平970」とある。片平はかつての村名だが、昭和51年に新しい町名が出来たやうだ。

 鳥居には「柿生第二土地区画整理組合」とあるが、附近は区画整理事業が行はれ、同組合はそのうちの一つ。昭和46年から51年にかけ、32.8haを対象に行われ、合算減歩率40.2%だったと云ふ。減歩40%と云ふのは、事業により所有地が六割に減つたと云ふこと。他事業のことは知らないので比較は出来ないが、随分と減るものだと思ふ。
 小田急多摩線は、昭和49年に開業してゐる。(3)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

鳥居の扁額は「白鳥神社」。柱には「昭和五十二年九月吉日建立 氏子中」「奉納 柿生第二土地区画整理組合 小田急建設株式会社 小田急電鉄株式会社 大成建設株式会社」とある。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

写真3 社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

狛犬には明治三十二年九月の年記がある。
灯籠には、昭和三年十一月修之とある。

写真4 社殿(拝殿と本殿)
写真4 拡大 (1280×960)

社殿(拝殿と本殿)

写真5 拝殿内
写真5 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真6 境内の様子
写真6 拡大 (1280×960)

境内の様子

手水舎には、嘉永五年九月吉日と年記のある手水石がある。

御朱印
写真6 拡大 (469×640)

御朱印

栗木御嶽神社で頂いた。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社庁誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.133
  2. 『新編武蔵風土記稿』 巻之八十六 伍力田村、片平村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  3. 令和3年1月3日閲覧 Wikipedia 小田急多摩線

改訂記録
  • 令和06.03.12 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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