神社訪問記HP神奈川県川崎市 > 麻生区

汁守神社 (神奈川県川崎麻生区黒川)

参拝日 令和2年5月31日(日)
作成日 令和3年1月16日(土)
改訂日 令和6年3月12日(火)
 
よみ  しるもり じんじゃ  
所在地  川崎麻生区黒川1 (35度36分48.38秒 139度28分0.71秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 汁守神社
祭神  保食命 ( うけもちのみこと )
 大己貴命 ( おおなむちのみこと )
由緒  境内に由緒の掲示は無かった。

 川崎市のwebには「この神社はかつて、武蔵国の総社の大國魂神社(府中市)に供える汁物を調える役目を担ったことから汁守神社と呼ばれるようになったと言われている」とある(1)

 神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(2)
由緒沿革 創立年代不詳。天明二年十一月神像造立し社殿再建、大正三年九月二十八日日枝神社外二社を合祀し、供進社に指定された。

 新編武蔵風土記稿には次の様に載ってゐる(3)。( )内は割注部分。
汁守明神社 (除地詳ナラス村ノ中央ニアリ本社ハ拝殿ヘ造リカケテ大サ二間ニ四間巽向ナリ祭神ヲ伝ヘス本地ハ不動ニテ木ノ立像一尺ハカリナルヲ安セリ行基ノ作ト云社前ニ鳥居ヲ立例祭八月二十八日ナリ村内金剛寺ノ持)
雑記  小田急電鉄多摩線の黒川駅から西へ0.3kmの所にある。

 当地は区画整理事業の対象にならなかったやうで、昔からの境内の佇まひが残つてゐる。

 ブログ「麻生区 はるひ野・若葉台・黒川の生活事典」の「汁守神社 黒川の鎮守様」(2005年11月)(4)には、大國魂神社との関係や祭のことなど、詳しく記されてゐる。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

写真2 一の鳥居と社号標
写真2 拡大 (1280×960)

一の鳥居と社号標

鳥居の柱には「昭和四十一年九月」と刻まれてゐる。
社号標には「今上天皇陛下即位後十周年記念」とあるので昭和五十年ころの建立と考へられる。

写真3 二の鳥居と社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

二の鳥居(木製)と社殿正面

灯籠には「明治十有五秊 壬午二月建之」と年記がある。
狛犬にも「明治十五年午二月建之」と表現は違ふが同じ年月の年記がある。
後に、両部鳥居の台石には天保五年の年記があると知ったが、訪れた際には気づかなかった。

写真4 社殿側面
写真4 拡大 (1280×960)

社殿側面。本殿と拝殿は離れてゐる。

写真5 手水舎
写真5 拡大 (1280×960)

手水舎

写真6 庚申塔
写真6 拡大 (1280×960)

地神塔 「地神齊」とある。側面に「天下泰平五穀成熟」「維持文久三○歳○癸亥秋八月 武州都築郡黒川村」とある。背後の樹木は「まちの樹50選」No.50のヤブツバキ。

御朱印
御朱印 拡大 (464×640)

栗木御嶽神社でいただいた


出典・脚注
  1. 令和3年1月9日閲覧 「あさおグリーン・ツーリズム」内「5 汁守神社」(川崎市都市農業振興センター 農地課)
  2. 『神奈川県神社庁誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.133-134
  3. 『新編武蔵風土記稿』 巻之八十六 黒川村の条 (同書は文政13年(1830)成立。明治17年刊の内務省地理局による翻刻本を引用、漢字は当用の字体に置換へた)
  4. 令和3年1月16日閲覧 「麻生区 はるひ野・若葉台・黒川の生活事典」内、汁守神社 黒川の鎮守様 (黒川に住はれてゐる個人運営のブログ)

改訂記録
  • 令和06.03.12 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 神社庁web神社情報のリンク修正。 白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

文頭へ移動  ホーム(神社訪問記)


inserted by FC2 system