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中島八幡神社(神奈川県川崎市川崎区中島)

作成日 平成29年4月1日
よみ  なかせ はちまんじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年7月28日(木)
所在地  川崎市川崎区中島2-15-1 (北緯35度31分43.59秒 東経139度43分2.41秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 八幡神社
祭神  誉田別命 ( ほむだわけのみこと )
 天照大御神 ( あまてらすおおみかみ )
由緒  境内の掲示には次のやうにあった。
八幡神社御由来
 御祭神 誉田別命(十五代応神天皇)
 御祭礼 八月十五日
     近年は上旬の土・日曜日
八幡神社は古来から中島の鎮守として、町民の崇敬の中心であります。
 ご創建の年代は明らかではありませんが、昭和二十年頃までは本殿に二十余枚の棟札が保存されており、その中の文中に「元和二年(西暦1616年徳川時代初期)社殿修復」の記録がありました。
また古くは十一世紀の頃、八幡太郎、源義家公による「後三年の役」の功績を後世に伝えるために創建されたとも語られることがありますが確証はありません。
 この中島は多摩川下流の堆積地層の中州がやがて小島になり、鎌倉時代に至り、ようやく古地図に記載された程の地域であり、江戸時代初期には戸数わずか十三戸、徳川後期に至っても五十戸たらずでありました。
 その頃より、村民相協力し八幡神社を創建護持し、更に村内の名刹「光明山遍照寺」の庇護もあり、例年御祭礼を執行し、御神輿巡行や村芝居を興行して近隣村々を併せての一大行事が行われてきました。しかし、不幸にして、昭和二十年四月十五日第二次世界大戦による戦災を受け、その一切を消失しましたが、氏子町民の協力により、昭和三十四年八月吉日、現在の御社殿が再建されたものであります。
  平成二十一年八月吉日
    社殿再建五十周年記念
         中島八幡神社 氏子会
 新編武蔵国風土記稿巻之71の中島村の条に次のやうに載ってゐる。( )内は割注。
八幡社(村ノ東ノ端ニアリ。勧請ノ年歴詳ナラズ。神体ハ秘シ置ハ見コトヲ許サズ。覆屋アリ前ニ拝殿三間ニ二間ナルアリ四十間バカリヲ隔テ石ノ鳥居アリ。村ノ惣鎮守ニシテ例祭年々六月十四日ナリ。此時御輿ヲ旅所ヘ渡シテ読経ヲナセリ。此旅所ハ大嶋村ノ境ニアリテ除地ニ畝六歩アリ。
雑記  京浜急行の京急川崎駅から東南東へ1.5km、北1km程には多摩川がある。

社頭には正岡子規没後百年記念の句碑がある。句は「多摩川を汽車で通るや梨の花」。

写真

社殿は鳥居をくぐった左前方にある。

境内社 天満宮

境内社 稲荷森(とうかもり)稲荷神社

境内社 神明社、嚴島社(写真左側)


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