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神明神社(神奈川県川崎市川崎区川中島)

作成日 平成29年4月1日
よみ  しんめいじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年7月28日(木)
所在地  川崎市川崎区川中島1-12-12 (北緯35度31分53.13秒 東経139度43分34.39秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 神明神社
祭神  天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
由緒 昭和十五年に建てられた社殿修造年代記録の石碑がある。それには、次のやうにある。尚、( )内に西暦年を補足した。
御創立 建武二年三月十六日子刻御鎮座   (1335年)
御再建 貞治十七年三月十六日 御修造   (貞治は七年まで、元年は1362年)
御再建 應仁十六年      御修造   (應仁は三年まで、元年は1467年*)
御再建 天正四年正月十六日  御修造   (1576年)
御再建 元禄三年       御修造   (1690年)
御再建 文政十二年正月十六日 御修造   (1829年)
御再建 明治十七年三月四日  御修造   (1884年)
御修繕 昭和三年十一月十六日 御遷座   (1928年)

* 應永の誤りなら、十六年は、1409年
新編武蔵国風土記稿巻之71、川中島村の条には次の様に載ってゐる。( )内は、割注部分。
神明社(村ノ南ニアリ。社前ニ拝殿アリ、三間ニ二間、前ニ石ノ鳥居ヲ建、両柱ノ間一丈。コレモ平間寺ノ持)
境内社(?)の「さいの神」の傍らに説明書が建ててある。少々薄れて読みにくくなってゐるが、それには次のやうに記されてゐる。
さいの神(歳の神)
延宝七年(西暦1679年)川中島村民によって建てられた赤子を抱いている子育て地蔵のお姿の「さいの神」で左側はその本地白衣観音といわれる。その「さいの神」はいつ頃からかかぜ・はやりかぜ・百日咳等の咳に希代にごりやくがあると里人の信仰をあつめ現在も近在近郷は勿論遠く東京・横浜方面より参詣する人があとをたたない。古いしきたりによればごりやくを受けた人は堂前の麻をお借りして咽喉(のど)に巻きごりやくを受けてなおると新しい麻や絵馬を奉納してきた。「さいの神」(道祖神)はもともと地境辻の神で悪疫悪霊が村内に入るのを防ぐ神さまだったようだ。いつかこれが咳の神として信仰を集めるようになったものと思われる。このことは全国各地に例がない訳ではない。子育て地蔵のお姿の「さいの神」は珍しい。ちなみにこの地は江戸時代の川中島村と大師河原村藤村との地境に当る。
   昭和六十年五月吉日
        川中島町内会
雑記  京浜急行の京急川崎駅から東へ2.2km、京浜急行川崎大師駅から南へ0.5kmのところにある。

 昭和三年の御修繕は、関東大震災被災の修繕と思われる。この碑の隣には「創立 六百五十年記念」(横書)碑がある。
 鳥居には「天保十三年」「当社別当平間寺」の文字が読取れる。平間寺は川崎大師。

 川中島村は明治八年に大師河原村に編入され、その後他村等を編入し、明治22年に新たな大師河原村が成立。大師町を経て、大正13年に川崎町・御幸村と合併し川崎市の一部となった。昭和47年の政令都市指定時に、旧町域が川崎区に、旧御幸村域は幸区となった。

写真

境内は盆踊の準備中

さいの神(向拝の扁額には「賽の神」とある)

社殿内の地蔵


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