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作成日 平成29年8月19日 |
よみ | せきいなりじんじゃ | |||
参拝日 | 平成28年11月10日(木) | |||
川崎市多摩区堰2-5-20 (北緯35度36分48.17秒 東経139度35分37.17秒)
地図:地理院地図 いつもNAVI | ||||
HP等 | 神奈川県神社庁 神社詳細 堰稲荷神社 | |||
祭神 | 倉稲魂命 ( うかのみたまのみこと )
天照大御神 ( あまてらすおおみかみ ) 木花之佐久夜毘売 ( このはなのさくやひめ ) | |||
由緒 |
境内の掲示には次のやうにある。
『新編武蔵風土記稿』巻之六十一の堰村の条(1)には次のやうにある。( )内は割注部分。
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雑記 | 南武線久地駅から北へ0.3km余の所にある。多摩川の右岸堤防までは北へ0.3km余ある。
境内には、橘樹郡稲田村堰侐兵会による「日露戦役記念碑」(明治三十九年十月建設との年記)、堰忠魂碑建立同志会による「忠魂碑」(昭和三十三年八月十六日の年記)がある。 忠魂碑背面には次の碑文が刻まれてゐる。(正字体が使はれてゐるが、現在通用の字体に替えて転記した。○:写真の撮り方が悪く判読出来なかった) 碑に銘記せられたる諸士は大東亜戦争に際し 赤誠報国の信念の下に若く尊き一命を捧げら れた勇士にして或は身を北辺の曠野に晒し或 は南海に水浸く屍となりたる○○諸士の志も 空しく敗戦の悲運に遭○悲憤の○○へ難く而 して諸士の犠牲に因り世界人類に戦争の悲惨 を教へられ其結果平和乃一礎石となる亦以て 瞑す可きなり我等元軍籍にある○諸士と其の 志を同うす唯命長らへ諸士の○○を偲ぶ時終 戦茲に拾余年灌漑誠に深し茲に同志相図り戦 友の英名を千載に留め永く其忠魂を慰めんと 本碑建設を計画し忠魂碑建立同志会の結成を 見るに至り集りたる浄財を以て多年の宿願た る本碑建立の目的を達成することを得たるも のなり 保谷正信謹書 昭和三十三年八月十六日 堰忠魂碑建立同志会 堰村は、明治22年(1889)登戸村他と合併して稲田村となり、稲田村は昭和13年(1938)川崎市に編入されてゐる。 風土記稿にある龍巌寺は、当社の南100mの所にある。 |
写真 | |
社号標は「堰稲荷神社」とある | |
鳥居の扁額 |
脚注
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