ホーム(都道府県の選択)神奈川県の神社にもどる

久地神社(神奈川県川崎市高津区久地)

作成日 平成29年8月19日
追記日 平成29年9月2日
よみ  くじじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年11月10日(木)
所在地  川崎市高津区久地1-39-1 (北緯35度36分27.17秒 東経139度36分16.92秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 久地神社  溝口神社HP内の兼務社
祭神  天照大神 ( あまてらすおおみかみ )
由緒   『新編武蔵風土記稿』巻之六十一の久地村の条(1)に次のやうある。( )内は割注部分。
赤城社 (村ノ南ノ丘ニアリ此所の鎮守ナリ社二間ニ一間半東南向前ニ石階アリソコニ木ノ鳥居ヲタテリ祭礼九月十九日(*)村内浄元寺ノモチ)
(中略)
冨士浅間社 (村ノ中央ニアリ川辺ノ鎮守ナリ社九尺ニ六尺東向前ニ木ノ鳥居ヲ建ツ祭礼六月朔日多摩郡鎌田村吉祥院ノ持)
伊勢宮 (僅カナル祠ナリ北方多摩川ノヘリニアリ村ノ鎮守ナリ例祭九月十六日村内養周院ノ持)

  注* 後の刊行本では六月十九日とされてゐる

境内の掲示には次のやうにある。
 神社の創立年代は定かではないが、風土記には「赤城社、村の南の丘にあり、此所鎮守なり。
社二間に一軒半東南向、前に石段あり、木の鳥居を立てり。祭礼六月十九日、村内浄元寺持」と記載されています。
 江戸時代、神仏習合の時代には、赤城社と称され、現在本社とする溝口神社と兄弟神と伝えられていたことから、武を司る毘沙門天・財を司る弁財天をお祀りしていたと云われております。
 明治初年、神仏分離により神体は、近隣寺院に合祀され、祭神を天照大神と改め、社名を久地神社と改称しました。
 現社殿は、昭和四十一年十月に再建されたものである。
【問い合わせ先】溝口神社社務所 (電話番号略)
溝口神社HP内兼務社の頁によれば、
 ・元禄時代に久地の農民38戸によって祀られたのが起源と伝えられています
 ・明治14年に村内の伊勢宮と冨士浅間社を赤城社に合祀
といふ。
雑記  南武線津田山駅から北東へ0.5kmの所にある。多摩川右岸堤防からは0.7km離れてゐる。府中街道(県道9号線)から当社への脇道に入ると左手に久地円筒分水がある。

 境内には、稲荷社、日露戦役記念碑(明治四十年十月の年記)、地神塔、牛頭天皇の碑(明治廿年?)がある。

 久地村は、明治22年(1889)に溝口村他と合併し高津村となり、昭和12年(1937)に川崎市に編入されてゐる。
 久地円筒分水は、二ヶ領用水の分水樋で昭和16年建造、国の登録有形文化財となってゐる。二ヶ領とは川崎領と稲毛領にまたがってゐる事に由来する。

 風土記稿にある浄元寺は当社から南東へ150mの所にある。吉祥院(法泉寺)は稲田堤駅から南ないし南南西へ0.6km、当社からは西ないし西北西へ6.7kmの所に、養周院は当社の北0.4kmの所にある。

写真

鳥居は昭和四十一年十月建立



大正二年八月の年記がある


脚注
  1. 新編武蔵風土記稿 巻之六十一 久地村の条 (江戸時代後期に編纂された地誌、内務省地理局編纂の活字翻刻本(明17)を引用)

・29.09.02 御朱印画像を追記


inserted by FC2 system