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貴船神社(神奈川県真鶴町真鶴)

作成日 平成23年8月15日
追記日 ────────
よみ  きぶね じんじゃ
所在地  神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1117ーロ(北緯35度08分59秒、東経139度08分46秒)
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 貴船神社
祭神  大国主大神 ( おおくにぬしのおおかみ )
 事代主大神 ( ことしろぬしのおおかみ )
 少彦名大神 ( すくなひこなのおおかみ )
由緒 境内にある掲示板には次のようにある。
貴船神社
御祭神 大国主神 事代主神 少彦名神
 創建は平安時代、宇多天皇の寛平元年(889)六月十五日と伝える。古来真鶴の鎮守で、漁業や海上安全の守神ともされ、人々の 篤い信仰を受けて貴宮(きのみや)大明神と呼ばれた。 明治初年貴船神社と改称し、同六年郷社に列せられた。大正十二年の関東台審査から復興するに当り、境内を拡張して昭和十年現在地に社殿を移転、 同三十八年本格的な造営が完成した。拝殿内部の彫刻一切は、幕末の巨匠江奈の半兵衛の名作である。
 大正三年二月、華項宮博忠王殿下、久邇宮邦久王殿下の御参拝があった。
 例祭は毎年七月二十七・二十八日・御輿の海上渡御は日本三船祭りの一つとして名高くこれを含む「貴船神社の船祭り」は、昭和三十三年に 神奈川県無形文化財、同五十一年に同県無形民俗文化財、平成八年には国の重要無形民俗文化財に指定されている。

境内社 山神社改築祈念碑文
 当社は大山祇神を奉斎する 由緒は不詳であるが、当地方は奈良時代より石 材の産出がなされるにより、古来より石材関係 者の信仰篤く、真鶴半島に奉祀されていたが、 数次の移転改築を行ない、明治の初期社殿腐朽 のため、当地石工組合により通称愛宕山に移転 改築されたところ、大正七年三月二十八日、本 村の大火により類焼し、同年十月組合によって 復旧したが、土地遠隔にて参拝に不便のため屡 々移転の問題が起り、翌八年四月二十八日貴船 神社境内に奉遷した。
 今回関係有志の発企によりて、茲にまた社地 の移転、社殿の改築を行うこととなったのであ るが、採石に携われし人達の当時の苦労を偲び て、その冥福を祈るとともに、今回これに奉賛 した人々の家業の安全隆昌を偏えに祈念するも のである。
  昭和五十年四月十七日
          山神社世話人一同
参拝日  平成22年11月6日(土)
雑記  名前から京都の貴船神社からの勧請かと思ったが、無関係といふ。「貴宮」の名を変へたのはだうしてなのだらう。

 境内社の、船玉龍神社の拝殿内には、何枚かの絵が奉納されてゐた。また、かつて、大漁の大きな魚で足の踏場もない港の写真が 奉納されてゐた。参拝の後、近くの料理屋に入ったところ同じと思へる写真が貼ってあった。魚は鰤であった。
 調べてみると、昭和29年には、真鶴を含む小田原沖で57万本余の漁獲記録があったが、平成2年は13本、平成14年は33本と激減してゐた。 関東で鰤が捕れてゐたとは知らなかった。

 真鶴町から産出される石材は、箱根火山がもたらした安山岩系溶岩で、大きく発展したのは江戸城の築城に真鶴の「小松石」 が使はれてからといふ。港があり海運に恵まれてゐたことも好条件だったといふ。
 鰤漁のやうに、たかだか親の代の事ながら、知らないことが多い。


平成22年11月6日撮影

平成22年11月6日撮影

平成22年11月6日撮影 境内社 山神社

平成22年11月6日撮影 境内社 船玉龍神社


・きのみや信仰:キノミヤ信仰は、神奈川県西部から静岡県伊豆半島にかけての相模湾沿岸部に広く分布する信仰で、主に「キノミヤ」を冠する 神社をその対象としている。「キノミヤ」は、木宮、貴宮、黄宮、木野宮、紀伊宮などと書かれ、その祭神も一定でないが、樹木神か漂着神を 祀る場合が多い。 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%83%9F%E3%83%A4%E4%BF%A1%E4%BB%B0 より)


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