よみ
| さむた じんじゃ
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所在地
| 松田町松田惣領1767(北緯35度20分45秒、東経139度8分2秒)
地図:国土地理院ウオッちず
いつもNAVI
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HP
| 寒田神社HP
神奈川県神社庁の神社詳細 寒田神社
Wikipedia:寒田神社
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祭神
| 倭健命 ( やまとたけるのみこと )
弟橘比売命 ( おとたちばなひめのみこと )
菅原道真 ( すがわらみちざね )
誉田別命 ( ほむだわけのみこと )
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由緒
| 式内社、旧県社。
境内にある松田町教育委員会名での掲示板によると、(縦書き)
寒田神社
松田町重要文化財(史跡)
西暦四00年頃の古代に創建されたと言われる由緒のある神社で延長五年(九二七年)に国が作成した延喜式
神名帳に、相模国十三座の内「足上群(あしのかみごおり)一座小寒田の神社(かみのやしろ)」と明記されています。
古代には、箱根越えの旅人が足柄道の通行の途中、この神社に旅の安全を祈願したと言われ、倭健命が東征の折りに
立寄られたと伝えられています。
祭神は倭健命、更に文明四年(一四七二年)に弟橘比売命を合祀、大正二年に天神社二社、昭和三十六年に庶子八幡社
を合祀しています。
神宝の椀
松田町重要文化財(工芸)
この椀は、弥生時代後期の作と言われ、神社創建の頃から御神宝として保存されてきています。
材質は、けやきで塗りの跡はなく、高台が特に高くロクロ目が荒く表面が輪なりにごつごつして縄文のように見えます。
なお、全体の形は、ふっくらとして、量感に富んでいて、格調高い作品です。
平成十年三月 松田町教育委員会
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御神宝の椀は、倭健命がしばらく滞在の折に使ったと言はれてゐる。また、創建以来この地に鎮座してゐるといふ。
社殿改築祈念碑があり、そこには、次のやうに記されてゐる。
寒田神社は仁徳天皇三年亥十一月の御創建で倭健命弟橘比売命誉田別命菅原道真公を祀り延喜式内相模
十三社の一に位し社領壱百五十石を賜り上古より上下の尊崇の厚い神社であります
旧社殿は明治初年の建築でありましたが老朽の程度も多くなりましたのでこのたび氏子崇敬者の御協力をえて
大正四年御大典記念として惣領と庶子の入会権者の方々が寄附された松田山の原野十町歩を松田山開発により
売却し之を基金とし 更に氏子崇敬者の特別寄附を加えて今上陛下の喜寿を記念して御社殿を改築いたしました
設計を竹澤古典建築設計事務所に施工を株式会社下田組に内装を大槻装束店並に高田装束店に依頼し
昭和五十三年一月着工一年有余の歳月を経て昭和五十四年二月竣工をみるにいたりました 御本殿は
流造り拝殿は切妻千鳥破風向拝を切妻平入造りで古来の技法を生かし近代建築の粋をつくし耐震耐火
鉄筋コンクリート鋼板葺であります
昭和五十四年三月二日
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想像でしかないが、高松山の開発とは、ゴルフ場のことだらうか。昭和五十四年に開場したゴルフ場があるので
時期的には符合する。
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参拝日
| 平成21年2月22日(日)
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雑記
| 桜を見に行った際に訪問した。社務所は閉まってゐて御朱印はもらへなかった。
平成25年6月再訪し御朱印を頂いた。社務所が新しくなってゐて木の香りがした。老朽化が激しかったとのこと。
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