神社訪問記HP神奈川県南足柄市

矢倉沢白山神社 (神奈川県南足柄市矢倉沢)

参拝日 令和3年4月28日(水)
作成日 令和3年10月30日(土)
改訂日 令和6年2月23日(金)
 
よみ  やくらざわ はくさんじんじゃ  
所在地 > 南足柄市矢倉沢 1483
   (35度19分46.89秒 139度3分5.94秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 白山神社
祭神  白山彦命 (しらやまひこのみこと)
由緒 社頭に、有志による掲示板があり、次の様に記されてゐる。振仮名部分は( )内に小さい文字で記した。
白山(はくさん)神社
矢倉沢地区の鎮守神です。総本社は、石川県白山市の「白山比(しらやまひめ)神社」で末社は全国に2700以上もあります、北陸三県と岐阜県に跨る白山は、富士山、立山と並び日本三霊山に数えられ、白山信仰(山岳信仰)の聖地として知られます。御祭神は、白山彦命(しらやまひめのみこと)です。

願海(がんかい)和尚の墓
寛永元年(1624年)白山神社の下に、宝珠院と言う寺が開かれ、白山神社を管理していましたが、無檀無住を理由に明治五年に廃寺となりました。願海和尚は兼任住職として寺を管理していましたが、誠実で祈祷力に優れ、村人から尊敬されていました。地元では古くから阿闍梨(弟子の模範となる深い学識や高い徳を備えた僧侶)さんとして親しまれていました。

蚕神(かいこがみ)の祠(ほこら)(養蚕(ようさん)神社)
明治中期から大正、昭和にかけて、神奈川県北西部では養蚕が農家の生業のひとつでしたが、矢倉沢地区にも多くの養蚕農家がありました。初夏には祠の前に村人が集り、その年に初めて出来た繭を蚕神様に捧げて、餌の桑の葉や蚕の良好な生育と豊繭を祈願したと伝わっています。
養蚕神社の総本社は茨城県つくば市にあります。

矢倉(やぐら)
矢倉岳の山頂付近は、マグマが地下深くでゆっくりと冷え固まって出来た「深成岩」と呼ばれる岩石でできています。かつて南足柄は本州と伊豆地界にはさまれた海の底でした。約115万年前海底の地層にマグマが貫入します。マグマは噴火せずにそのまま固まり、海底の地層ごと、フィリピン海プレートに乗って南からやってきた伊豆地塊に押され持ち上げられました。周りの海の地層が風化して深成岩体が現れ、現在の形になりました。

  令和二年三月
有志一同  

 神奈川県神社誌(昭和五十七年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 石橋山合戦後田代孫左衛門信綱が勧請、守譲神として奉斎した。

 新編相模国風土記稿(天保十二年)には次の様に載ってゐる(2)
白山社 村ノ鎮守。例祭九月廿九日。宝珠院持。末社 神明 牛頭天王 天神
雑記  伊豆箱根鉄道大雄山線大雄山駅から西北西へ4.9km、御殿場線山北駅から南西へ4.3kmのところにある。

 本日は、小田急線秦野駅近くで車を借り、十五社を巡った。最寄の厚木市で借りずに、秦野まで電車で行って借りた方が楽だらうと。
 前年8月に山北町内の十三社を巡ったが、(1)未参拝社が何社かあったこと、(2)山北から秦野にかけて公共交通機関の利用では参拝しづらい社を巡らう、と計画した。
 当社近くのバス停(矢倉沢 又は 本村)には、大雄山駅前からバスが1日5本のバスがある。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

社頭

写真の右端に蚕神の祠(写真8参照)

階段左側の注連縄のある覆屋の中に石碑がある(願海和尚の墓)

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

階段の中程に鳥居がある

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

斜め前から見た社殿

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

社殿側面

写真7
写真7 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真8
写真8 拡大 (1280×960)

蚕神の祠(養蚕神社)

タウンニュース(2020年4月4日号)(3)によると、
老朽化してゐたため自治会有志が寄付金を募り建替えた。御神体とともに寄贈者の名入りの札があり、横浜市にあった製糸会社盛進社の持田初治郎氏の寄贈で、厚木市・相模原市にも同じ神像が現存するのを確かめた、
 と、云ふ。

 持田初治郎氏は地域の名士だった。「持田初治郎君頌徳之碑」が横浜市泉区中和田公園にある。(4)


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.375
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之二十一 矢倉沢村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)
  3. 令和3年10月24日閲覧 タウンニュース 足柄版 蚕神の祠建て替え完成 2020年4月4日号 (株)タウンニュース社
  4. 令和3年10月25日閲覧 カイコローグ 横浜市泉区(2)持田初治郎と蚕霊供養塔 2015年4月12日 シルク民族研究会

改訂記録
  • 令和06.02.23 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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