神社訪問記HP神奈川県中井町

須賀神社 (神奈川県中井町境)

参拝日 令和3年4月28日(水)
作成日 令和3年12月4日(土)
追記日 令和6年2月22日(木)
 
よみ  すがじんじゃ  
所在地  中井町(まち)境 1730
  (35度21分13.99秒 139度12分24.21秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 須賀神社
祭神  素盞嗚命 ( すさのおのみこと )
 大日孁貴命 ( おおひるめむちのみこと )
 建御名方命 ( たけみなかたのみこと )
 大山咋命 ( おおやまくいのみこと )
由緒  手水舎には手書で由緒が記された板が掲げられてゐる。
須賀神社
一、由緒沿革
江戸時代の中期元禄十五年(1702)十一月に当地の地頭曲渕市左ヱ門によって開基され後嘉永六年(1853)に再建された。
江戸時代は「第六天」とよばれていたが明治二年六月須賀神社と改め祭神を素戔嗚命とした。其の後明治十一年七月村内の大神宮神社祭神大日留貴命、諏訪神社祭神建御名方命、日枝神社祭神大山咋命の三柱を当社に合併願済した。
其の後大正十二年九月の大震災によって社殿が全潰したが仝十五年に復旧元した。
一、社殿 千鳥破風造
一、境内坪数 338
一、祭礼 毎年四月の第一日曜
平成五年 宮代人一仝

 神奈川県神社誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒沿革 元禄十五年(一七〇二)十一月創立。曲渕市左ヱ門開基。嘉永六年(一八五三)十二月再建、元大六天と唱えた。明治二年六月須賀神社と改称し、六年七月村社となる。同十一年七月村内大神宮神社祭神大日留貴命、諏訪神社祭神建御名方命、日枝社祭神大山咋命の三柱を当社へ合併願済。
向拝に掲示によると、曲渕市左ヱ門は地頭で1719年没、境内社に厳島神社(弁財天)と八坂神社(第六天)がある、といふ。

 新編武蔵国風土記稿には次の様に載ってゐる(2)
第六天社 村ノ鎮守。本地仏薬師ヲ安ス。例祭九月八日。村持。下同。
 神楽殿
上記のほか、神社は諏訪社、稲荷社、桜位権現社、日向権現社、八幡宮、弁天社、山王社二の名が挙げられてゐる。
雑記  小田急小田原線秦野駅から南西へ2.5km、中井町役場からは北北西へ2.8kmのところにある。

 向拝には次の掲示がある。
鈴と鰐口のはなし
多くの神社には、拝殿の賽銭箱の真上に金属製の鈴が吊されています。鈴には長い綱が垂れていてその綱を振り動かして鈴を鳴らします。巫女は手に神楽鈴(小さな鈴を山形に並べた鈴)を持って、神楽舞を舞います。その音には神様をお招きする役割があり、古くは巫女が神楽を舞い神懸り(かみがかり)して人々に神の意思を伝えていました。今日では神のみこころを慰めるという意味合いがあり舞の後に参拝者に対して鈴振りをするのも祓い清めの意味があります。神前で鳴らす鈴もこの神楽鈴に由来し、古来から鈴には魔除の霊力があり、その清々しい音色で参拝者を敬虔な気持にするとともに祓い清めて神霊の発動を願うものと考えられています。鰐口とは主に神社仏閣の軒先に懸けられており前面に垂らされた緒(お)と言われる布縄を振って鼓面を打ち参拝します。偏円・中空で下側に横長い口がある銅・鉄の鋳造品です。撞座(つきざ)には蓮華文が多く見られ、鰐口の大きさは、小型から大型のものまで様々ですが、一般的には径20〜30cmのものが多く金鼓(金口こんく)とも言います。中井町の多く神社には鈴も鰐口もありませんでしたが、五所八幡神社には2個の鈴、井ノ口の八幡神社、厳島神社、蓑笠神社、別所八幡神社にはそれぞれ一個の鈴が掛かっていました。鰐口については、中井町にわずか三箇所。その一つ本境の須賀神社の鰐口の刻銘は次のものです。
『奉納第六天御寶前/寛政五癸丑年(1593年)八月吉日/相州足柄上郡境村惣氏子中』
自らを第六天魔王と称した織田信長の護摩符としての信仰が武田氏、小田原北条氏の所領であった農村部に広まり、須賀神社の創建は文禄十五年(1702年)十一月、曲淵市左衛門です。
この銘からも「第六天宮」と呼ばれていたことが裏付けられます。明治二年六月須賀神社と改め、祭神を素戔嗚命(すさのおのみこと)としました。他の二つは古怒田にあり、ひとつは菅原神社のもので無名、もう(ひ)とつは観音堂のものでした。

 拝殿内の掲示を見ると昭和四十四年に幟新調や石段改修が行はれてゐる。

 当地は、江戸時代末期は境村で、
・明治22年(1889)、藤沢村、久所村、北田村、遠藤村、田中村、半分形村、岩倉村、古怒田村、鴨沢村、雑色村、松本村、比奈窪村、境別所村および井ノ口村、足柄下郡小竹村飛地が合併して、中村が発足。(3)
・明治41年(1908)、中村は井ノ口村と合併して中井村が発足(3)
・昭和33年(1958)、町制を施行して中井町(まち)(4)
となった。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (960×1280)

社頭

社号標は昭和四十六年四月奉納

鳥居の扁額は「郷中 総社」とある。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

拝殿内と御本殿

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

手水舎。
屋根の下に由緒書が掲示されてゐる。
手水石は、昭和四十六年の寄贈

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

境内社。本社に向って右にある。


出典・脚注
  1. 『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.409
  2. 『新編相模国風土記稿』 巻之十五 境村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)
  3. 令和3年12月04日閲覧 ウィキペディア 中村 (神奈川県足柄上郡)
  4. 令和3年12月04日閲覧 ウィキペディア 中井町

改訂記録
  • 令和06.02.22 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。白地図の誤記修正(誤:東西290km×南北270km 正:東西59km 南北55km)

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