ホーム(都道府県の選択)神奈川県の神社にもどる

元町八幡神社(神奈川県二宮町二宮)

作成日 平成29年12月9日
よみ  はちまんじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成29年5月30日(火)
所在地  二宮町二宮1138-1 (北緯35度18分9.62秒 東経139度15分30.21秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  神奈川県神社庁 神社詳細 八幡神社
祭神  誉田別命 ( ほむだわけのみこと )
由緒  境内に、八幡神社の由緒掲示はなかった。
 新編相模国風土記稿(1)には善光寺の項に「八幡宮」とある。
 神奈川県神社誌(2)には次のように載ってゐる。
由緒沿革 数百年前神仏習合の御代、村内善光寺内に創祀さる、本殿は元禄三年(1690)造営さる。明治初年火災で焼失、大広寺に合祀、明治二十七年大広寺領妙見社に移転、次いで昭和十二年現在地に鎮座、今日に及ぶ。
 当社から北西へ四五百mのところに妙見神社・大応寺がある。上記「大広寺」とあるのは 大応寺 の誤りと思はれる。新編相模国風土記稿にも 大應(応)寺 とある。

 八坂神社社殿前に次の由緒掲示があった。
元町八坂神社の由来

江戸時代後期、現在の元町は上町中町下町とともに旧二ノ宮村を構成した四地区の一つで幕藩管理下にありました。

当時の民衆にとって最大の楽しみはお祭り行事が一般的で二ノ宮村でも天王社のお神輿を楽しもうと村を挙げてのお祭りでしたが神輿は一社しかなく祭りの日程や巡行経路などを巡って部落間の争いが絶えませんでした。そこで明治三年、名主と長老が相談、それを解決するには地元にもう一社を造営創祠する外はないと衆議一決し、川匂神社に願い出ると共に神輿造りの名人、宮大工杉崎内匠政貴殿(周助)に制作依頼した新しい神輿と社殿を池田清右ェ門殿からご寄進頂いた峰岸1138番地の現在地に奉祀鎮座させました。
爾来 神輿の勇壮な競り合いなど満足する祭典ができるようになったのです。その後 明治四十三年に白木神輿は漆塗装を施され立派に生れ変わりました。そして補修を重ねながら今では元町の神輿として皆に愛されているのです。
 天王社とは八坂神社(祇園社とも)のことで八坂神社のご祭神素戔嗚尊(すさのおのみこと)が牛頭天王の垂迹(すいじゃく)した神様とみなして天王社と称したのでしょう。
(二宮町近代史話等を参照しました)
平成二十年三月吉日
  元町宮世話人OB会

 天満宮の由緒掲示は次のやうにあった。
二宮天満宮

ご祭神    菅原道真公
建立地  初代・・・文政年間   元町天神谷戸地
     二代・・・昭和八年一月 現在地に遷座 御神体を太宰府から求めて安置いたしました。
天神祭  初天神・・・一月二十五日  毎月二十五日は縁日
天満宮の縁起
(中略)
それから九百年ほど経ち 二ノ宮村では天正年間の代官池田若狭守の末孫から譲られた土地にその人の恩義に応えて 天神社を建立し田代岩で造った祠をご神体として安置し 天満宮の緑社としたのが始りのようです
 天神谷戸の地名もそこから生まれました   その後さらに
年月が過ぎた昭和八年 草深い谷戸奥地の天神社では子供の参拝には不便なので手前の峰岸山に移すことになり 社殿を新しく造り ご神体も太宰府天満宮から人型坐像を求め安置しました
 後年 月日も経ち社殿が老朽化したので平成十九年元町十町内会の協力を得てこのたび新築いたしました

  どうぞ 親しんでください

   平成十九年十二月吉日    元町地区代表者会
     【二宮の歴史】創刊号を参考に致しました
当社は峰岸山西縁にある。
雑記  東海道線二宮駅から北北東へ0.4kmのところにある。

 八幡神社の参拝に、と訪れたが三社ある。八坂神社も天満宮も立派で、境内社なのか? といぶかしく思ひながら由緒を読むと、八幡神社とは関係無く当地に鎮座してゐるとわかる。そして、由緒欄を書くに当って八坂神社の由緒を調べたら、当地に鎮座したそれぞれの時期は、
 ・明治 三年頃  八坂神社
 ・昭和 八年   天満宮
 ・昭和十二年   八幡神社
と、八幡神社が最も後であった。

写真

鳥居の奥が八幡神社。右の建物は八坂神社

覆殿のなかに本殿がある。一対の灯籠は「九町氏子中 昭和五十四年八月吉日」と彫られてゐる。

元町八坂神社

二宮天満宮。左手の建物は八坂神社。

脚注
  1.  新編相模国風土記稿 巻之四十 二宮村の条 (天保12年(1841)完成、鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用)
  2.  『神奈川県神社誌』 神奈川県神社庁編 昭和57年刊 p.402 八幡神社


inserted by FC2 system