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川匂神社(神奈川県二宮町山西)

作成日 平成26年8月27日
よみ  かわわじんじゃ
参拝日  平成25年6月22日(土)
所在地  二宮町山西2122 (北緯35度17分58.9秒  東経139度14分17.7秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  神奈川県神社庁 神社詳細 川匂神社  Wikpedia
祭神  大名牟遅命 ( おおなむじのみこと )
 大物忌命 ( おおものいみのみこと )
 級津彦命 ( しなつひこのみこと )
 級津姫命 ( しなつひめのみこと )
 衣通姫命 ( そとおりひめのみこと )
由緒  式内社。境内の案内板には次のやうにある。
川匂神社

御祭神
 大名貴命 日本の国土を御開拓なされた神様です
 大物忌命 殖産興業に御功績のあった神様です
 級津彦命 相模国が昔相武と磯長に分れていた頃磯長の国を御開拓なされた神様です
 級津姫命
 衣通姫命 安産守護の神様です

御由緒
 当社は相模国二宮で古くから二宮大明神と称し延喜式所載の名社である 十一第垂仁天皇の朝当国を磯長国と称せし頃その国造阿屋葉造(あやはのみやつこ)が勅命を奉じて当国鎮護のため崇祒せり 日本武尊東征の時、源義家東下りの時奉幣祈願ありしを始め、武将の崇敬深し。  人皇十九代允恭天皇の皇妃衣通姫命(そとほりひめのみこと)皇子御誕生安穏のため奉幣祈願あらせらる。 一条天皇の御宇永延元年栗田中納言次男次郎藤原景平当社の初代神官となり爾来今日に及ぶ 建久三年源頼朝夫人平産のため神馬を奉納せらる 建長四年宗尊親王鎌倉に下向ありし時将軍事始めの儀として奉幣神馬を納めらる。 北条相模守小田原北条、小田原大久保等皆累世崇敬深く造営奉幣の寄進少なからず。 徳川の朝に至り家康公九州名護屋出陣の際祈祷札を献上殊の外喜ばれ御朱印地五十石を寄せらる 爾来徳川累代将軍に及ぶ 正月には必ず江戸城に登城して親しく年礼申上げ御祓札を献ずるのが礼となり幕末まで続行せり。  明治六年郷社に列せられ昭和七年県社昇格の御内示を受け現在に及ぶ。

御祭儀
 例大祭十月十日    特殊祭      月次祭 一日 十五日
 新年祭二月十七日   筒粥祭一月十五日
 新嘗祭十一月二十三日 国府祭五月五日  大祓式 六月三十日 十二月二十九日
(中略)
以上
雑記  東海道本線二宮駅から西へ1.6km、道のりは2.5kmある。式内社、相模十三座の内の一社で、前々から訪れたいと思ってゐた。 少々歩くが、仕様がない。
 5月5日の国府祭(こうのまち)は、六所神社中心の祭りだが一の宮から五の宮格の八幡神社までの各社が近くにそろふので、行ってみたい。特に座問答が興味深い。 (このページではなく、六所神社訪問時に書くと良いかも知れない。然し何時になるか判らないので、いま書いておかう)
 国府祭(Wikipedia)


平成25年6月22日撮影

平成25年6月22日撮影 茅の輪が準備されてゐる

平成25年6月22日撮影

平成25年6月22日撮影 拝殿内の扁額は「二宮大明神」

平成25年6月22日撮影  忠魂碑 明治十年西南之役、明治二十七八年日清之役、明治三十七八年日露之役、満州事変の戦病死者を慰霊してゐる


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