神社訪問記HP神奈川県小田原市

白山神社(神奈川県小田原市多古)

参拝日 平成30年1月10日(水)
作成日 平成31年4月7日(日)
追記日 令和6年4月8日(月)
よみ  はくさん じんじゃ  
所在地  小田原市扇町 5-7-29 (多古669番地) (北緯35度16分25.69秒 東経139度9分21.03秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  神奈川県神社庁 神社情報 白山神社
祭 神  伊弉冉尊 ( いざなみのみこと )
由 緒  新編相模国風土記稿には次のやうに載ってゐる(1)
白山社 村ノ鎮守ナリ。本地仏正観音を安ス。例祭九月十五日。村持。下同。
 末社 山神稲荷合社

 神奈川県神社誌には次のやうに載ってゐる(2)
由緒沿革  新編相模風土記に「白山社村の鎮守なり。本地仏正観音を安んず。例祭九月十五日とあり」、古くより村の氏神として尊崇され、明治六年七月三十日白山神社と改称村社に列格された。大正四年神饌幣帛料供進社指定。

 境内の掲示には次のやうに記されてゐる。
白山神社
一、鎮座地 小田原市多古669番地
一、祭神 伊弉諾尊
一、例祭日 十月九日
一、社殿 本殿流れ造り 間口一間四尺五寸
奥行一間二尺 幣殿 1.17坪
拝殿六坪 向拝 1.33坪
一、境内 258坪
一、由緒概要 新編相模風土記に「白山社村の鎮守なり本地仏正観音を安んず」とある古くより村の氏神として尊崇せられ明治六年七月白山神社と改称、村社に列格され同四十二年九月に神明社と日枝社を合祀す。
大正四年十月神饌幣帛料供進神社に指定さる昭和三十年社殿が丘陵上にありしため境内整備をかね土地引下げの工事をなし遷座し奉る。
雑 記  小田急線足柄駅から北北東へ0.3kmのところにある。

 当地の住所は扇町となってゐるが、昭和46年10月1日から住居表示が行はれ、新しい町名として扇町(おおぎちょう)がつけられた(3)。風土記稿で村の鎮守と記してゐる村は、多古(たこ)村で、
 明治22年に多古村、井細田村、今井村が合併し二川村が発足、
 明治41年に二川村、蘆子村、久野村、富水村と合併して足柄村が発足、
 昭和15年2月町制施行、同年小田原町他と合併し、小田原市の一部となった、
といふ経緯がある。

 拝殿内には「奉賛の辞」として昭和四十三年の日付で由緒等を墨書した板がかかげられてゐたが、細かな文字は判読しがたかった。

 境内社には、山王大権現と記した扁額をかけた石鳥居(昭和三十六年三月建之)を備へた石祠があった。石祠には明治五年の文字が読取れた。

 新年らしい雰囲気があるかと思ひながら訪れたが、拝殿内に「謹賀新年」と書かれた立看板があるだけで、訪れてくる人に遭ふこともなかった。十日、しかも平日となると、こんものか。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  鳥居は「昭和三十二年五月建之」、社号標は「往時の鳥居を社標にし」「昭和四十年一月」に納めたもの。


写真2



写真3


出典・脚注
  1. 『新編相模国風土記稿』 巻之三十四 多古村の条 (同書は天保12年(1841)完成。鳥跡蟹行社刊(明17-21)の活字翻刻本を引用。漢字は現在当用の字体に置換へた)
  2. 『神奈川県神社誌』 神奈川県神社庁編 昭和57年(1982) p.242 白山神社
  3.  平成31年4月6日閲覧 広報おだわら第249号(昭和46年1月1日)

改訂記録
  • 令和06.04.08 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 神社庁web神社情報のリンク修正。

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