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居神神社(神奈川県小田原市城山)

作成日 平成24年11月09日
追記日 ────────
よみ  いがみ じんじゃ
所在地  小田原市城山4-23-29 (北緯35度14分49.6秒  東経139度8分53.4秒)
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HP  神奈川県神社庁 神社詳細 居神神社
祭神  三浦荒次郎義意 ( みうらあらじろうよしおき )
 木花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと )
 火之加具土神 ( ひのかぐつちのかみ )
由緒  掲示板にはつぎのようにある。
居神神社地小田原市指定重要文化財「古碑群」
 居神神社、または井神神社。祭神は木花咲耶姫命、火之加具土神、三浦荒次郎義意公の霊とされている。
 祭神三浦荒次郎については、壮絶なる創建伝説が伝わっている。
 三浦半島の新井城主であった三浦荒次郎義意は、伊勢新九郎盛時(北条早雲)に攻城され永正13年(1516)7月11日、父陸奥守義同とともに 自刃した。戦後義意の首を当神社の松の梢に晒し首にしたところ、3年間眼目せず通行人をにらみ、人々に恐れられたという。
 また一説には、義意自刃の際、その首は三浦半島から海を越えて小田原まで飛来し、井神の森の古松にかぶりつき、そのまま3年間通行人を にらみつけたという。
 そこで、城下の僧が代る代る供養したが、成仏しなかった。これを聞いた久野総世寺の四世忠室存孝和尚が駆けつけ、松の下に立って しばらく読経の後、「うつつとも夢とも知らぬひとねむり 浮世の隙を曙の空」と詠むと、さしもの怨霊も成仏し、たちまち白骨となって地に落ちた。 その時、空より「われ今より当所の守り神にならん」との声があったという。そこで社を建て居神神社として祭ったといわれている。
 本殿左手に鎌倉時代末期の古碑群があり、その内板碑2基、線刻五輪塔2基、陽刻五輪塔1基は、市街地に残る最も古いもので、小田原市の 重要文化財に指定されている。

 明治四十三年九月十日、大窪村板橋浅間神社・同村同字秋葉神社を合併してゐる。
参拝日  平成24年3月16日(金)
雑記  小田原駅からは南西へ1.2km、山角天神社からは西へ300mの所にある。東海道線と 新幹線の間に挟まれてゐる。また、国道1号線を挟んで向ひに大久寺がある。小田原城主大久保忠世を開基とする寺で、大久保家の菩提寺だ。 (このあと、大久保神社を訪れた)
 境内には正徳太子堂があり、奉納者に指物組合の名前が見へる。他に八幡神社、金刀比羅神社があった。


平成24年3月16日撮影

平成24年3月16日撮影

平成24年3月16日撮影
  
平成24年3月16日撮影


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